〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長:14

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外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。その後、アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

■負うた子に教えられる

 IT関係の話が続いたので、たまにはハイテクではない話をしようと思います。

 みなさん、サンフランシスコと言えば、何を想像しますか?

 一番有名なのは、市の北端からその向こう岸までを結ぶ赤い橋、ゴールデンゲートブリッジ=金門橋でしょうか。あるいは丘の町のあちこちを上り下りするケーブルカーでしょうか。それとも2千頭もの野生のアシカが集まってくるピア(埠頭=ふとう)と、その脇にある巨大なカニ(アメリカイチョウガニという日本にはいないカニで、英語での呼び名はダンジネスクラブといいます)のシンボルマークで有名なフィッシャーマンズワーフでしょうか。

 サンフランシスコは全米でも有数の観光地ですので、これ以外にもあちこちランドマークとなっている場所がたくさんあります。また、連載6回目でも書きましたように、デジタル映画の制作スタジオもだんだん集まってきているのですが、そのうちの一つ、ルーカススタジオ入り口の前にあるスター・ウォーズのヨーダが真ん中に立っている噴水も、名物になりつつあると思います。

◆同性愛者を支援する街

 さて、そういう目に見える名物以外にも、サンフランシスコが中心地と言われるものがいろいろあります。そのうちの一つで、明らかに私の生活や考え方に影響を及ぼしたことをお話しします。

 それは、同性愛者に関して非常に理解があって、いろいろな形で支援している進歩的な街であるということです。

 約40年前に、全米で初めて自らをゲイと公言した市会議員がこの地に誕生したという歴史もありますし、その後も、理解があって住みやすいサンフランシスコに各地から引っ越してきた人も多く、今の状態になったと聞きます。

 中心部から路面電車に乗って西に10分ほど行くと、カストロ通りの入り口に巨大な旗が立っています。この虹色の旗が同性愛者のシンボルマーク。このあたりを中心として、ドアに虹色の旗を掲げて住人が宣言している家やアパートを多く見ます。全米最大規模を誇る同性愛者のパレードもこの地で行われます。

 私がカリフォルニアに引っ越してきて起業したのは2000年なのですが、最初に住んだところはもっと南のシリコンバレーでしたので、上記のことは話に聞くだけであまり実感はありませんでした。

 といっても、自分が共同創業者としておこした会社にも、会社を始めて半年後にはゲイの社員が入社してきました。そう公言する人と初めて一緒に働いたのですが、実際なんの違和感もなく、というより、繊細で心配りがあって、それでなくてもアメリカ人のガサツさ(日本人が繊細すぎるというきらいもあるのですが)にへこたれ気味でしたので、新鮮であり、かつ、ありがたく感じたものです。

 その後サンフランシスコ市内に引っ越して、生活のいろんなところで接するようになり、やはり聞いて知っていることと、自分でその中に入って見たことは違うな、ということを実感しました。

 最初にびっくりした出来事は、自宅そばにあったデイケア(託児所)に下の子供を預けた時でした。そこは100人ほどを預かっている比較的大規模の施設で、朝と夕方は子供を預けたり迎えにきたりする親でラッシュになるのですが、生後6カ月ほどの赤ちゃんを毎日連れてくる若い男性のお父さん2人に気づきました。

 その2人は、それは大事そうに、慈しむように乳児用のかごを毎日抱いてきました。自分にとって初めて目撃する光景であり、衝撃的でした。しかし、振り返ってみると、一生懸命さ、ひたむきさに感じるものがあったのだろうと思います。

 つまり、いつもの自分なら「お母さんは?」「男同士?」「男だけで育てられるのだろうか?」と余計なことを好奇心いっぱいに考え、場合によってはそれを直接聞いてしまうところですが、この時ばかりは、だまって目の前にある現実を自然なものとして、そのまま受け入れたのでした。

 まさに、Seeing is believing(日本の「百聞は一見にしかず」にあたります)を体験したのでした。

 その次に驚いたのは、上の子供がキンダーに入ってすぐのことでした。当地の小学校の多くは、1年生の下に、日本でいう幼稚園の年長組のクラスがくっついていて、それをキンダーと呼んでいます。つまり、年長さんから小学校に通いだすのですが、年間行事予定を見ているとき、遠足やハロウィーンなどと並んで「ゲイ&レズビアンデー」と書いてあるのに気づきました。

 正直言いますと、目を疑いました。しかし考えてみれば、性教育に関しても、早期から正しいことを教える方が結果的には問題が少なくなるというのが当地の考え方です。ですから、この件に関しても学校で早くから教えるというのも不思議ではありません。特にサンフランシスコでは、そういう家庭の子供が多いので、きちんと教えることが大事、ということになるわけです。

◆パパ1人、ママ2人

 子供のクラス名簿を見ても、片親だけしか書いていない子がいるのは当然として、女性の名前が親の欄に2人書いてある子もいます(ですので、記入欄に「父」「母」と先に書いておくわけにはいかないのです。あくまで「親」の記入欄が並んでいます)。

 女性2人と男性1人、あわせて3人の名前とメールアドレスが並んでいる子もいました。あとで聞いてみると、両親は離婚し、お母さんは現在女性のパートナーと同居して、子どもを育てています。子供は2週間おきにお父さんの家に泊まりに行きます(お父さんの家には新しい奥さんがいる)。

 当時は、複雑な事情に思え、「そんな環境で育つ子供がかわいそうだ」などと考え、勝手に同情していました。

 しかし、ある日。私の安っぽい同情は見事に打ち砕かれました。うちの子供が学校から帰ってくるなり、その子の家のことを勢い良く語りだしたのです。こんな具合に。

 「パパ、トムの家はすごいんだよ。うちには、パパとママあわせて2人しかいないじゃない? あそこのうちは、パパは1人だけど、ママが2人もいるんだよ! すごいでしょ! うらやましいでしょ!」

 返す言葉を一瞬失いました。

 いわゆる「普通」を基準にして、そこから外れるものを半ば自動的に劣ると思ったり、かわいそうに思ったりする自分を恥じました。

 父親になってまだ日は浅いのですが、「負うた子に教えられて浅瀬を渡るとはこのことだ」と、気づいた記念すべき日になったのです。

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