2011年9月2日10時40分
■シリコンバレーの輪廻(りんね)転生
シリコンバレーに住むということは、コンピューター/IT業界の変化や進歩を絶えず目の当たりにするということです。テクノロジーや新製品が大好きな人であれば、次から次に絶え間なく出てくる新しい発想の製品、びっくりするような技術、そして画期的なサービスに興奮しながら、それを次々に使いこなしていくことが大好きというでしょう。
ただ、あまりの変化の激しさについていけず、正直疲れると思う人も多くいると思います。私自身はその両方の気持ちが行ったり来たりしていて、このあと段々年を重ねていったら、自分はついて行けるのか心配(笑)というのが正直なところです。
そんなびっくりのニュースには慣れっこのはずのシリコンバレー人ですが、業界を揺るがす大きなニュースが立て続けに3つ流れ、多くの人がかなりの衝撃を持って受け止めたようです。ツイッターやフェイスブックでも、私の知り合いの多くがこの話で持ち切りでした。
まず最初の衝撃のニュースは、8月15日でした。現在のIT業界を代表する企業の一つであるグーグル社が、モトローラの携帯電話部門を買収すると発表したのです。グーグルといえばスタンフォード大学院生の始めたベンチャー企業で、インターネットの検索エンジンから会社が始まったのですが、それはほぼ昔の話で、瞬く間にインターネットのあらゆるサービスをすぐれた技術で提供し、それをほとんどユーザーには無料で提供するという、総合インターネットサービス会社となっています。
そのインターネット側のサービスに加え、近年では最近流行のスマートフォンの一大勢力「アンドロイド」の基本システムも提供するようになっていわばアンドロイドの元締めとなっており、スマートフォン市場をiPhoneで先行して切り開いたアップルの最大の強敵と目されるようになって来ています。
しかし、アップルとグーグルの大きな違いは、アップルがハードウエア(コンピューターや電話機)と、ソフトウエアやサービスの両方を自社で開発し、その両者を一体にして比類なき使いやすさを提供するという独特の会社であるのに対して、グーグルの方はこれまでネット上のサービスやソフトウエアだけを開発提供し、ハードウエアをつくってこなかった点にあります。
過去にグーグル社は動画配信サービスのYouTube(ユーチューブ)を始めとするたくさんの技術会社を買収して技術や人材を取り入れて来ましたが、そのほとんどすべてがソフトウエアかサービスのいわゆる「形のないもの」ばかりでした。
しかし、今回の発表では、携帯電話機の製造会社としてトップクラスのモトローラ・モビリティ社を一兆円近い金額で買収ということで、とうとうグーグルがハードウエアとソフト/サービスの一体型ビジネスに乗り出すのかと、大きな衝撃が走りました。
グーグル社の真意はわかりません。今回の買収は、昨今ますます加熱する携帯電話業界の特許紛争対策のためという説もあります。が、本当にこの買収が何を意味するのかは注意深く見守っていく必要があると思います。
2つ目の衝撃は8月18日でした。HP(ヒューレット・パッカード)社が、パソコン部門の分離/売却案を発表したのです。HPの創業者のヒューレットさんとパッカードさんはシリコンバレーの伝説中の伝説で、この2人が1939年に自宅のガレージで会社を創業したという話は、たくさんある「シリコンバレーガレージ伝説」の元祖とも言えると思います。
シリコンバレーのコンピューター産業はここから始まったといっても過言ではないこのガレージは、実際今でもパロアルト市のアデイソン通り367番地に現存し、カリフォルニア州歴史的建造物に指定されていてその場所には「シリコンバレー発祥の地」という記念碑が建っている名所となっています。
アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏を含む多くのシリコンバレーの創業者達に大きな影響を与えた2人で、シリコンバレーの父と呼んでもいいかもしれません。コンピューターとその周辺機器の製造会社としてもその健全な経営体質から一時は超優良企業ともてはやされ、その経営理念やマネジメントの手法が世界の企業のお手本としてさまざまな形で紹介されてきました。
そのシリコンバレーのコンピューター産業のシンボルともいえる会社から発表されたパソコン事業からの撤退宣言は、パーソナルコンピューター時代の終わりを感じさせるに十分なインパクトがあったように思います。
近年のスマートフォンやタブレットの普及を目の当たりにして、パソコンが先細って行く感じがなんとなくしていた人が多かったと思いますが、名門HPの発表によりダメ押しがされたと思います。
そして3番目の衝撃は、8月24日に発表されたアップル社CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズ氏の退任発表でした。この数年は健康問題から数回休職を繰り返していた氏ですので、この日が遠くないことは誰もが予想できていたのですが、やはり「分かっていたけど信じたくない」話の最たるものでした。
その理由としては、アップルの新製品や技術とか、今後の業績がうんぬんということではなく、この数年氏の口から発せられる「新しいライフスタイルの提案」と、「それを実現するイノベーション」を、「分かりやすく感動をもって伝える」ことのできる人が、世界に他に見当たらないから……、これにつきると思います。今後シリコンバレーのイノベーションの道を切り開いていく人はいったい他に誰がいるのだろうか、という漠然とした不安が私たちの心に広がったと思うのです。
しかし、考えてみると、この絶好調のアップルも90年代後半には倒産寸前で買い手をさがしていました。そのころはグーグルも存在しませんでした。携帯電話といえばモトローラやノキアがトッププレーヤーで、アップルやグーグルは携帯にはまったく無縁でした。まだ10年ちょっと前の話です。
日本ではいまだに「失われた10年」が語られるようですが、私には言い訳にしか聞こえません。シリコンバレーが10年でこんなに変化するのだから、日本も仮に10年くらい失ったとしても、そのことはもう忘れて、心機一転また新しいことを始めればいいのではないでしょうか?
失ったことばかり反芻(はんすう)していると、さらに多くを失っていく。これこそ悪循環ではないかと思うのです。