〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長3

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外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。その後、アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

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■まず、ほめることから始めましょう!

 この2年ほどは、ツイッターやフェイスブックで、友達やそのまた友達の書き込みから、思いもよらぬアイデアや目からうろこの落ちる情報を知ることができるようになり、大変便利な世の中になったなあと思います。

 直接知らない人の頭脳や着眼点を、対価も払わずに使わせていただけるわけですから、実にありがたいことです。お返しとして私もなるべく人の役に立つ情報を出すように心がけています。

 さてある時、群馬県の@TROiSDESIGNさんという方(もちろん面識はありません)の姪御(めいご)さんが、小学校の漢字テストで「火」という漢字の一画目が斜めすぎるということで減点になり、せっかくの満点を逃したという話を、採点された答案の写真とともにツイッターにアップしていらっしゃいました。

 私もアメリカで小学生の子供を育てており、日本語の勉強時間が極めて限られている中で、常々、いかにおだてて漢字を勉強させるかに苦労しています。筆順も含めどこまで書けたらよしとするかには人一倍神経を使い、日本語が嫌にならないよう気をつけています。

 ですので、この厳しく採点された答案を見たときは正直ショックを受けました。そう思ったのは私だけではなかったようで、6000人以上の方が、この話を他の人に伝えるために情報をリレーし、また300人以上の人がコメントを残しています。それを読む限り、日本に暮らしておられる普通の日本人の中でもこれは行き過ぎだと思われる方が多くおられたようです。

 この話がツイッター上で広がったおかげで、長野県梓川高校の放送部の生徒さんたちがつくった「漢字テストのふしぎ」(http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html)という20分間の自主制作ビデオにたどり着きました。

 ビデオの出発点は、学校のテストや入試で採点する時、漢字のトメやハネ、ハライを正解とするか不正解とするかの基準は「実は明確ではないのではないか」という問題意識です。まず小中高の先生200人にサンプルを採点してもらい、実際にばらつきがかなりあるということをデータで示しています。その後、何を根拠に採点しているかを、地元の先生方、県の教育委員会、そして文科省にまでインタビューし、なぜ学校でこのような指導になるのかについての理由を解きほぐしていきます。

 学生たちの調査力や構成力が素晴らしいのですが、長野の先生方の率直さ、正直さも大いに尊敬できる作品です。東京ビデオフェスティバルで大賞を受賞したそうです。ビデオを実際見ていただくと分かりますが、先生方は「上から指導された基準がある」と思っていらっしゃるのです。しかし調べていくと予想に反して、文科省ははかなり許容範囲を広く取っていて、実は現場が(文科省の当初の期待以上に)厳しく運用していることがだんだん分かってきます。いろいろな意味で非常に示唆に富むビデオだと思います。

 このビデオを見ていると、気づくことが一つあります。質問する方も答える方も、「どれを正解にするか」ではなく「どれを間違いとするか」という観点で終始話が進んでいます。誤解を恐れずに簡単に言うと、「間違い探し」の基準の議論にみえるのです。

 今読んでいる方も、試験なんだからそういうものなんじゃない、と思われる方も多いかもしれませんし、私も日本にいるときはそう思ったことでしょう。

 私はフランス、スイス、アメリカと海外生活がもう15年になりますが、日本を離れて他国の生活風習に接して初めて、日本では生活のいろんなところで間違い探しをされることが多かったなあと気付くに至りました。

 例えば、書類に10項目記入する場所があるとします。当然大事な項目もあれば、そうでないものもあるわけです。話を分かりやすくするために少し誇張して言いますと、アメリカの窓口では、いま必要な項目が大方入っていれば受け取ってもらえますが、日本では未記入の部分があると、まずそこを埋めるように求められるという違いです。「できている所により注目する」か「できていない所に注目する」か。つまり、そもそも視点が逆方向なのではと思うシーンによくぶつかるのです。

 シリコンバレーに住む知り合いの日本人で、4人のお子さんを育てている方がいます。現地校でも成績優秀ですが、日本語の勉強もおろそかにせず、同年代の日本の子と同じように国語も社会もこなします。その家族が転勤で日本に引っ越したのですが、子供の学校に対する最大の不満が、いい点数をとっても先生に褒めてもらえないことだそうです。

 漢字でも算数でも満点をとっても、そこにあるコメントは「もう少し字をバランスよく書きましょう」とか「検算も横に書きましょう」とか、「もっとがんばれ!」系のことばかりだそうです。アメリカの先生やスポーツのコーチの指導を見ていると、こっちが恥ずかしくなるくらい子供を褒めてくれ、自信たっぷりで帰宅します。アメリカで教育を受けた子供にとっては、日本の学校での改善指導は、果てしなく続く道路に見えることでしょう。

 高度成長時代に、自動車でもテレビでも日本が世界一の品質の製品を作れた理由は、現状に甘んじることなく、厳しい目で改善できる点を探し、不良品をつぶしていくという、たゆまぬ改善努力にあったのは間違いありません。日本人として誇りに思います。が、私はどうやらそれが大成功した結果、当初の目的を超えてすこし広がり過ぎ、 今となっては知らず知らずのうちにやや行き過ぎたカイゼンを他人にも自分にも求めてしまっている、と思うときがあります。そして、結果としてそれが自分自身を苦しめている面があるのではないでしょうか。

 昨年東大で講演をした時、教授が昨今の学生の行動を「先回り心配症候群」と表現され、そのユーモラスな表現と的確さに「くすっ」と笑ってしまいました。

 転ばぬ先のつえを持ったはいいが、つえをたくさん抱えすぎて重くて一歩も踏み出せない図を想像しました。もしそういう学生がいるならば、それは上の世代が、厳しい採点が象徴する社会システムを作ってしまったせいではないかと思い、気の毒になります。

 今僕たちのやるべきことは、つえを置いて、そっと背中を押してあげることではないでしょうか。そのための第一歩は身近な人のいいところを探して意識して褒めることです。

 小言を言う前にまずほめる、ここから始めてみませんか?

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