〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長4

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外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。その後、アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

■スティーブ・ジョブズの「引き算する勇気」

 先日アップルの世界開発者会議(WWDC)がサンフランシスコで開かれました。私が初めてこの会議に参加してからもう15年以上の時がたちますが、アップルの業績が悪く買収のうわさが絶えなかった90年後半頃は、この会議も閑古鳥が鳴いていました。

 その頃に比べるとiPhoneやiPadが絶好調で、業績も史上最高の数字を更新しているここ数年は、この会議の人気も白熱しています。特に今年は10万円以上もする参加証が発売開始日に数時間で売り切れたこともシリコンバレーの話題となりました。

 このイベントに参加する動機の一つは、最高経営責任者(CEO)のスティーブ・ジョブズ氏の基調講演を聞くことなのですが、今年も例年通り前日の夜から行列ができ始め、朝の開始前には巨大な会場を何重にも行列が取り囲みました。考えてみると企業のトップが自社の製品や戦略の話をするのを聞くために徹夜で人が行列する(それも有料で!)というのは、あまり他に例がないのではないでしょうか。

 ここ数年は健康問題が取りざたされ、今年はこの会議に登場しないかとのうわささえあったスティーブ・ジョブズ氏ですが、期待を裏切らず壇上に登場した時は、割れんばかりの拍手で満員の聴衆に迎えられ、私も前から10列目ほどで氏の基調講演の様子を2時間にわたって楽しみました。

 氏はフォーチュン誌など世界の一流のビジネス誌上で「この10年での最高の経営者」などと表現されますし、またプレゼンテーションやスピーチの達人としても広く知られていますが、彼の人生がすべて順風満帆だったわけではありません。それどころか、養子に出され、親のなけなしの貯金をはたいて入った大学は自ら中退、そしてせっかくつくった自分の会社では、自分が招き入れた社長に追い出されてしまうなどなど、ジョブズ氏の代表的なエピソードをこうして並べてみますと、日本の典型的な成功パターンの価値観からでは、なんだかとても不幸な星の下に生まれた人に見えるかもしれません。

 そういった様々な不遇や困難にも負けず、現在の名声を築くことができた理由はいくつかあると思いますが、シリコンバレーの他の様々な起業家の経験談とも重ね合わせて考えると、氏の成功の秘訣(ひけつ)の一つは「自分の一番やりたいことを探して探して探し抜いて、そこに一生懸命エネルギーを集中してつぎ込んだ」ことだと言えると思います。

 日本で教育を受けた私は「とりあえず学校は卒業するほうがいいし、資格はあった方がいい」とか「なるべくオールラウンドな能力を身につけなさい」と言われて育ってきました。

 これはどちらも一般的には間違ってないことだと思います。ですが、日本の社会は一般的、平均的に正しい条件を隅々にまで無理に当てはめようとしますし、また一般的な条件を一つでも欠くと、それがマイナスポイントとして扱われがちで、結果として必要以上に不利になる傾向があるのではないかと思います。

 それが故に、好きなことを死にものぐるいでやることに対しては、無意識に内外からブレーキがかかることが多いのではと思います。

 よく考えてみると「平均的な人間」というのはなかなかいなくて、実は一人ひとりが個性豊かであるにもかかわらず、単純な方程式に当てはめて優劣を判断しようとする傾向が日本に暮らしていたときの自分にもあったと思います。

 しかし、シリコンバレーで、すごいスピードでイノベーションを生み出し世界を変えていく人々を目の当たりにし、その人たちの多くがいわゆる優等生キャリアではない現実を突きつけられて、やっと昔の考え方を改めることができるようになりました。

 さて、私は料理をするのも食べるのも大好きなのですが、調理家電一つをとってもアメリカで売られているものと日本で売られている物には傾向にはっきりとした違いがあります。

 アメリカでは、ミキサーもブレンダーも電子レンジもほとんどが単機能で、外見を見た瞬間にこれは何をするものかすぐわかりますし、ボタンを押せばその期待される機能がシンプルに働きます。

 他方、日本で売られている物は、複数のアダプターを取り換えたりしながら異なる機能を切り替えて使ったり、オーブンと電子レンジと蒸し器が合体したような複雑な製品が前に出ています。

 これは、日本のキッチンには保管場所が少ないという現実的な制約から、多機能商品が増えたという背景ももちろんあると思います。ですが、その多機能の日本製品を持っている人に話を聞くと、その豊富な機能は実際、あまり使われてないケースが多いようです。というより、現実は残念ながら操作が複雑すぎてあまり使えないというのです。

 これは調理家電に限らず日本製の家電製品一般に言えると思いますが、日本には新しい技術、機能を詰め込みすぎた製品が多いと感じます。

 この背景には、製品を企画する側が技術主導で製品を作る傾向がまだまだ強いことと同時に、消費者側もカタログスペックや新機能のリストを必要以上に気にしてしまうという、両側に理由があると思います。

 その結果として実際あまり使われない機能がてんこもりになってしまい、製品価格が押し上げられ、同時に使い勝手が悪くなっている製品が増えてしまうのは残念な事です。

 昨今のアップルの製品はそれと対極のアプローチです。吟味に吟味を重ねて本当に必要な機能だけを極限まで絞り込むことで、デザインを磨き、製品をユーザーに取ってわかりやすくし、そして価格も抑えるのです。機会があったらアップル製品の裏のパネルを見てみて下さい。あまりの接続端子の少なさに驚かれるでしょう。

 こんなケース、あんな場合、いろんな可能性に対応して多種多様の端子を付けた方が「つぶしがきいて」より多くのお客さまのニーズを満たすような気がするメーカー側の気持ちはよくわかります。

 しかし、現実はそうすることによって、より多くのお客さんに混乱をもたらしていることに気付かねばなりません。最初から選択が少なければ、迷いもしないのです。できることが限られていれば、マニュアルも最小限で済むのです(実際iPhoneにはマニュアルが付属しません)。

 製品をつくる側に取ってこの絞り込みは、言うのは簡単ですが実際は大変困難を伴うと思います。端的に言えば「それはできません」よりも、「あれもこれもできます」のほうが断然売りやすい。

 しかし、本当にお客さまに「簡単に使っていただく」「楽しんでいただく」ことを考えると、大きな勇気をもって極限まで絞り込まなければいけないのと思うのです。アップルの成功は、妥協をせず「1000のことにもノーと言い続けて」不要不急の物を捨ててシンプルな製品をつくる勇気、これにつきるのではないかと思います。

 今週、スティーブ・ジョブズにまつわる本が偶然にも2冊同時に発売されました。一冊は「スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション」という単行本で、もう一冊はアエラ別冊のアップル特集「アップルはお好きですか」という本です。

 前者は、ジョブズ氏の革新的な製品を生み出す発想法を、いかに我々が日々の生活で使うかを解説した本で、後者はその背景となるジョブズ氏やアップルの歴史や思想を多面的に語った本です。もしも「引き算する勇気」にご興味をお持ちになったら、ぜひ書店でお手に取ってご覧になってみて下さい。

 これまで、多機能はよいことだと思っておられたとしたら、それを違う観点で考えてみることができるのではないかと思います。

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