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2012年6月15日10時20分

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〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長:19

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外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

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スピーチをする参加者(TEDxUTokyo事務局提供)

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スピーチを聞く筆者(写真中央、TEDxUTokyo事務局提供)

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スピーチを見守る筆者(写真右、TEDxUTokyo事務局提供)

■大好きだから伝わる

 前回、NHKの新番組の「スーパープレゼンテーション」をご紹介しました。日本の本屋さんをのぞいても、プレゼンテーションがテーマになった本は増えつつあり、この数年プレゼンの大切さへの認知は徐々に上がってきているように思います。

 しかし、同時に見かけや細かなテクニックに重きを置きすぎているきらいもあります。形から入るというのは日本ではよくあること。必ずしも悪くはないと思うのですが、日本人が努力好きゆえ、そこにエネルギーをかけすぎて結果として全体のバランスが悪くなっているケースも時々見かけます。

 違う視点での危機感もあります。シリコンバレーで開かれるカンファレンスで、世界の企業のトップのプレゼンを見比べたとき、10年ほど前と最近では様子が変わってきているのです。

 当時から、国籍や会社によらずプレゼンが上手な個人は時々いましたが、あえて一般的に言えば、欧米人に比べるとアジアのビジネスマンのプレゼンはあまり上手でなかったと思います。

 特に、日本と韓国企業の人は「語学」と「プレゼンの方法」でかなり共通の弱点があり、お互いに「俺たちの国の社長はプレゼン、ダメだよな」などと自虐的に話していたこともありました。

◆「キロギアッパ」の表現力

 ところが最近、アジア諸国の方、特に韓国の人のプレゼンや交渉術は見違えるほど向上したと実感しています。本題から外れるので、ここで理由の深掘りはしませんが、「キロギアッパ」という呼び名までついた、韓国に一人残って仕送りするお父さんに支えられた多くの韓国の若者がアメリカで何年も教育を受ける。その結果、彼らの表現手段や持つ人脈が大きく変化したことは一つの大きな理由としてあげられるでしょう。

 今、スタンフォード大学のキャンパスに行くと、韓国学生のあまりの多さにびっくりしますが、これが10年以上も続いた結果、韓国企業で活躍する人たちのバックグラウンドや行動も、昔とはかなり違ってきているのだと思います。

 それに比べると、日本の大企業から来る人のプレゼンや懇親会での態度は昔とあまりかわっていないのが正直なところです。

 もしかしたら、Sonyの盛田さんがアメリカ中をセールス行脚していた頃の積極性と比べると、後退している気すらします(ただ、若い日本の起業家がシリコンバレーでプレゼンをする機会も昨年からかなり増え、そこで見る日本人は皆大変元気がよく表現もなかなか上手で、見ていてうれしくなることも同時にお伝えしておきます)。

 さて、なぜ日本の企業人のプレゼンはつまらないのか、わかりにくいのか。これを語りだすと本が一冊書けるほどですし、実際「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」(日経BP刊)の解説などでもいくつかポイントを書きました。が、今日は上に書きましたように、シリコンバレーで見る「日本の企業人のプレゼン」に少ししぼって書いてみます。

◆長すぎる会社の説明

 まず、日本の大企業の人のプレゼンが他と明らかに違うところは、会社の説明にかなりの枚数と時間をかけることです。これは、日本的には大事なのかもしれませんが、こちら側の興味は一言で言えば「何をする」であって「どの会社」ではありません。

 一番元気のある最初の部分に、もっとも眠くなる部分が来るのはもったいないことです。一般的に日本人の話は前置きが長くなかなか本題に入らないといわれますが、プレゼンもまた例外ではありません。

 そして、なんといっても、一枚のスライドにちりばめる文字数が圧倒的に多い。日本ではプレゼンの前に資料を配布する習慣(私はあしき習慣だと思っています。先に資料が机の上にあれば、それを読んでしまいますので、プレゼンで伝える感動は当然減ります)がありますが、これの悪影響だとも思います。

 つまり、画面で見せるメッセージと、配布する詳細な資料の区別がついていない。あるいは、同じもので間に合わせるが故に、画面が文字で埋め尽くされるわけです。

 その膨大な情報を消化して、そして記憶に残すことは普通はできません。もっとも大事なポイントを感動とともに持って帰ってもらうという本来の目的からすると、あまりに多くの情報をちりばめるのは自殺行為に等しいということに気づくべきですよね。

 といっても、上の2点は普段から訓練したり気をつけたりすればある程度改善すると思います。しかし、ここから述べる2点はもうちょっと根源的な問題を感じます。

◆「どうしてもやりたい」という気持ち

 一つは、このプロジェクトを「どうしてもやりたい」という気持ちが発表者から伝わってこないケースが多いことです。

 人の話を第三者的に伝達しているだけに聞こえます。謙虚な日本人のこと、会社を代表してという思いがあえて個人の感情を入れないように抑制しているのかもしれません。

 しかし、その後の効果を考えると全く逆で、自分の思い入れを十分いれて、迫力豊かに語った方がいい。

 その理由を非常に簡単に言えば、結局のところ、実行できるかどうかはプランの良しあしではなく、誰とやるかにかなり依存してくることをみんな経験で知っており、故に「本当にやりたい」という気持ちが話している人から伝わってこないかぎり、本腰をいれて検討すらしてくれないわけです。

 二つ目は、話の中にも、資料の中にも、うまくいかなかった時の説明や言い訳がかなり多いことです。

 これは非常に誤解される。いま前に進もうとしているときに、「もしもここがダメなら」とか「絶対とは言えないんですが」とつぎつぎに言葉が入ると、自分たちのプランに自信がない、本気ではない、誠意がない、と誤解されます。

 普通、最初にプランを売り込むときは多少アラがあっても、不完全であっても、最も言いたいことを中心に据えて成功を信じ堂々と話すしかないと思うのですが、どうしてそういう言い方になるのか不思議なのです。

 こういう、聞いている人を「魅せない」説明を聞くたびに、「それだけ言い訳言葉が先行するのは、普段からアラ探しをされているからかなぁ」と思わず同情してしまい、また、第三者の説明に終始するのを聞くと「自分のいまやっている仕事、実はあまり楽しくないのかな」と思ってしまいます。皆さんの普段の仕事環境はいかがですか?

 5月に、TEDxUTokyoが東京大学で開催されました。日本の大学では初めての試みです。企画も運営も進行もすべて学生のボランティアでやったとは思えないすばらしいイベントになりました。

 パーティーでのスピーチでも言いましたが、我々が学生の時にこんなプロフェッショナルな企画や進行ができるとは全く思えません。私の中での「日本の将来」をすこし明るく見せてくれたイベントでもありました。

 そのイベントの際に、選抜を勝ち抜いた4人の学生さんのプレゼンを見てそれを一緒に改良して練習する機会に恵まれました。プランはみな粗削りですが、自分の情熱が思い切り入った提案を磨いて練習をくり返し、そしてそれを堂々と発表する様子には場内から拍手喝采が湧いていました。

 この4人は自分のプランが大好きなんです。それをやりたくてしょうがないのです。それが、聞く人に伝わるのです。

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