2011年10月21日14時26分
■未来をどうつくっていくか2 過去の成功に決別する潔さ
10月5日以来、スティーブ・ジョブズ氏死去の報道の嵐はなかなかやみませんでした。米国では、他のニュースの方が優先して報道されるまでには約1週間かかりました。日本でもおそらく一つの会社の社長の死としては異例の大きさで報道されたのではと思います。
世界中でこの報道合戦はしばらく続いたようで、私のところにも翌日10月6日の朝に韓国KBSテレビから取材申し込みが入り、9日夜8時のKBSスペシャル(NHKスペシャルの韓国版)でスティーブ・ジョブズ特番「iSad」が放送され、かなりの高視聴率をマークしたそうです。韓国では日本や他の欧米諸国に比べるとMacやiPhoneの販売実績はかなり少なくメーカーとしてはマイナーなのですが、死去から3日半後には特集番組をゴールデンタイムで放送してしまう、このスピード感に驚きました。携帯や家電で世界制覇を目指す韓国の真剣度を見た気がしました。
さて、たくさん送られてくる記事を見ていますと、どうもスティーブ・ジョブズ氏を神格化したものが多いような気がしました。惜しい人をなくした場合、生前の活躍への感謝もこめて褒めちぎるというのはよくあることですが、あまり褒めすぎて「彼だからこそできた」話になってしまうと、そこで思考停止してしまいます。偉大な人への一番のはなむけは、単に褒めちぎったり惜しんだりすることではなく、その人の経験や生き方からなにか自分が学べることを得て、それを自分たちの発展の糧にしていくことではないでしょうか。そういう気持ちを込めて、前回に続いてあまり語られない視点でなにかつづってみようと思います。
どん底の状態のアップル、製品の在庫が積み上がり、資金がいつショートするかわからず、身売り先を探している時に(実際オラクルやソニーの名が候補としてあがっていました)電撃的にスティーブ・ジョブズが戻って来たのは96年の末。ただしそのときは最高経営責任者(CEO)のアドバイザーとして発表され、どれほど本気で再建に力を貸してくれるつもりなのかはっきりしませんでした。というのも、その前しばらくは、表面的に外から良く見えるような借り物人事、すなわち業界で著名な人や昔アップルで活躍した伝説的な人を呼び戻すなどの人事が続き、残念ながらあまり成果らしいものは見えていなかったからです。
ですので、また客寄せパンダに終わるのではという見方もありました。が、実際はそうではなく、周到な計画のもとCEOを追い出し(と業界では言われて来ましたが、本当のところは、来週全世界で同時発売される、本人が認めた唯一の伝記で明らかにされるのではと思います)、そして翌年の夏から会社のかじ取りをし始めました。
それからは劇的でした。社運をかけて推進していたOSの互換機へのライセンスを取りやめ(日本ではパイオニア社が懸命に互換機を作っていましたが、突然の発表に相当打撃だったと思います)、シャープに製造を委託していたニュートン(手書き文字認識など当時にしては相当なインテリジェント機能を備えた、高級な電子手帳のようなもの)の開発をすべてストップし、細分化された製品ラインを極度なまでにシンプルにすることを開始しました。同時にこの時期は、次から次に人が辞めた時期でもありました。(大局的に言えば戦略的に正しくなかったとしても)昨日まで懸命に開発していたものが今日いきなり葬り去られるのはだれにとってもやるせないでしょう。でも、そういうしがらみにとらわれることなくばっさばっさと改革したため、これまでのアップル風(ぬるま湯ともいいます)に慣れきった人たちの中には、急激な環境の変化に耐えられず辞めていく人も多かった訳です。
しかし、この変化は単純なコストカットや合理化ではなく、この先会社をこうしたい、こっちの方向に持っていきたいというビジョンの下に優先順位がつけられ取捨選択されたものでした。もっと言えば、「世界をこう変えて行きたい」「世の中にこう貢献したい」という志がこの行動を支えていました。会社のトップの考えを理解して、目の前の変化をかみくだいて痛みを受け入れることのできる人たちが残り、アップル再建の大きな力となりました。というより、結果的に復活に貢献した人材やそれに必要だった技術そのものは、元々アップルの中にかなりの部分存在したのです。それまでは、それぞれがてんでんばらばらな方向を向いていて、かつ、不要なものや害を及ぼすものと混在していたため全体としての良さが薄まっていた状態でした。それを切り分け、未来を作って行くことに必要なものを取り出して、その人たちに方向性を示してやる気を出させた。これがカギだったと思います。
再建も軌道に乗り始めてしばらくしたあと、古くからのアップルユーザーには驚くべきことが起こりました。一つは、本社の正面にあった大きなアイコン(Macの象徴とも言える画面上の矢印や起動時に出る擬人化されたコンピューターの絵など)をかたどったオブジェがいきなり撤去されました。カフェテリアにあったアップル初代のコンピューターの展示も撤去されました。なにより、アップルのシンボルであった6色の虹色のりんごのロゴが変更され今のデザインになりました。どれもこれも古くからのアップルファンには心のよりどころ、また創業時からの思い出の詰まったものでしたので、熱狂的なファンや昔からの社員は大いに嘆いたものです。
しかし、今に思えば、あのときに過去の小さい成功に決別しておいたからこそ、今の大きい成功を迎えることができたのではないかと思います。パソコンが中心だった時代から、インターネット、そしてモバイルに軸足が大きく移り変わる時、会社組織も社員の価値観も、お客様への売り方も態度も大きく変化していく必要があることは、理性ではわかります。しかし、なかなか過去からの継承性を大事にする文化の中ではこれができない。一言で言えば「しがらみ」というやつです。そのしがらみを次々に切って捨てて、「ここからは前に進むしかない」と内外に鮮やかに宣言したのです。
ゼロックス・パロアルト研究所でMacの原型となるものを作っていた「パソコンの父」ことアラン・ケイ博士の有名な言葉があります。
「未来を予言する最良の方法は、自らそれをつくり出すことである」
未来をつくり出すために過去の名声や成功と決別した潔さ、それがiPodやiPhoneなどの生活様式を変えてしまうようなヒット製品を産み出し、同時に、単なるコンピューター会社だったアップルを、家電、電話、コンテンツ、量販店まで持つ総合的な会社に変身させることになる出発点だったのです。
次回に続きます。