〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長6

写真・図版

外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。その後、アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

■サンフランシスコとシリコンバレー

 前回は、サンフランシスコにあるジャパン・ソサエティー北カリフォルニア(http://www.usajapan.org/)という伝統ある組織が、ベンチャー企業を表彰したというお話しをしました。この組織がベンチャー企業を表彰するようになったのは、その長い歴史の中で初めてのことで、画期的な出来事だったと思います。この背景には、サンフランシスコとシリコンバレーの産業構造の変化があるのです。今回はこの変化に関してお話しします。

 そもそもシリコンバレーとは、その名前が示すように、半導体関係のベンチャー企業が起こり、それに関連する産業やサービス、学校も含め一大産業圏が形成されたのが起こりです。シリコンバレーといえばハイテクというイメージでしょうが、場所は同じでも隆盛する産業の中心は、半導体、コンピューター機器、ネットワーク機器、ソフトウエアと時代のニーズにあわせて変化しつつ、規模を拡大しながら成長して来ました。が、名前は半導体の材料である「シリコン」のままなのです。

 振り返ってみれば、私がシリコンバレーのサニーベール市に引っ越して起業した2000年ごろは、新しい技術や会社は、スタンフォード大学があることで有名なパロアルト市あたりを中心とする、いわゆるシリコンバレーのど真ん中で起こっていました。その頃に創立されたグーグル社はパロアルト市のすぐ南のマウンテンビュー市に、アップル社はその南隣のクパチーノ市に本社を置いています。

 一方、サンフランシスコは、金融業などの昔からある産業セクターが中心で、いわゆるハイテクな場所ではありませんでした。坂が多く景色が美しく、ゴールデンゲートブリッジや、蟹(かに)のマークで有名なフィッシャーマンズワーフなどの有名な観光地を多数持つところであり、オペラやクラシックコンサート、おしゃれなブティックや高級レストランなど、文化の豊富にあるところです。なお、サンフランシスコとシリコンバレーの間は高速で1時間ほどかかり、距離にして70キロほどあります。サンフランシスコとシリコンバレーは隣同士と思われている人が多いのですが、実は物理的にけっこう離れていますし、住んでいる人や産業も当時は大きく違ったのです。

 ところがこの10年に大きな産業の地殻変動が起こり、サンフランシスコが大きく変わりました。まずはデジタルコンテンツ産業が誘致された結果、ルーカスフィルムやピクサーなどのデジタル映画の大手がサンフランシスコ近辺に集まり始めました。それとともに、デジタルコンテンツ産業を支えるツールやインフラや人材が集まってきました。アメリカのコンテンツ産業のハブ(中心地)は、出版は東海岸のニューヨーク、映画は西海岸のハリウッド(ロサンゼルス近郊で、サンフランシスコからは車で8時間ほどです)というのは昔も今も変わりませんが、デジタル技術を使って作られた映画などのコンテンツのハブがサンフランシスコ近辺に新しく生まれたと言ってよいでしょう。

 もう一つの大きな動きは、ちょうど「Web2.0」という言葉が流行した頃から、インターネット上の様々な新しいサービスやスマートフォン用のソフトウエア、そして最近よく聞くクラウド系のサービスなどを提供する会社が、シリコンバレーではなく、サンフランシスコ市内でどんどんうまれ始めたのです。

 その理由の詳細は省略しますが、分かりやすく一言で言うと、昨今の新しいウェブやモバイルのサービスを生み出すのは「青空の下でTシャツ着てハンバーガーかじっている技術一辺倒のプログラマー」では十分ではなく、「歌って踊ってファッションに気を使って、友達としゃれたレストランに行って会話する中から新しいサービスを発想できるプログラマー」ということになるでしょう。そういうカルチャーのある場所はサンフランシスコに集中しており、故にそういう人種はサンフランシスコに住みたがり、サンフランシスコで起業するケースが増えるというわけです。

 そういうトレンドには大手もあらがえず、グーグルもアップルも、全席に電源が付き、無線LANもついて走行中もずっと仕事のできるチャーターバスを一日に何十本も走らせ、サンフランシスコに住みたがる人材をシリコンバレーの本社まで運んでいるのです。

 今、サンフランシスコにはそういう小さな会社が入る共同オフィスが10カ所以上生まれています。どこも倉庫を改造したようなオフィスなのですが、それがなんともかっこ良く、どの場所もものすごく活気に満ちています。サンフランシスコを横断するマーケットストリートの南のSOMA(ソーマ)と呼ばれる地域は、10年前は工場や倉庫が集まるあまり治安の良くない場所であったのですが、今はおしゃれで活気のあるエリアに急速に変貌(へんぼう)を遂げつつあります。私はこの数年ここを「新シリコンバレー」と表現したりもします。

 サンフランシスコに昔から住む人たちにとっては「谷」の向こうだったハイテクベンチャーが、昨今、急に地元のものになってきたわけで、同時に自分たちの生活や仕事にも徐々に影響を及ぼして来ています。前述のジャパン・ソサエティーもこの新たな産業の変化を受けて、若い会社や若い技術の今後のますますの発展を思ってベンチャー企業を表彰することになったわけです。

 これほど古い歴史を持ち、かつこれまで過去の功績をたたえることしかやっていなかった団体が、時代の変化を取り入れ、未来を向く方向への変化を自ら決断したこと自体大変尊敬すべきことだと私は思います。自分が過去に行ってきたことに捕らわれすぎずに針路を自ら変更していく勇気は、私がアメリカで暮らしていつも学ぶべきことが多いと感じることの一つなのです。

更新情報