〈仕事のビタミン〉外村仁・エバーノートKK会長1

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外村仁(ほかむら・ひとし)1963年生まれ。東大卒業後、米大手コンサルティング会社に入社。その後、アップルコンピューター・ジャパンに転じ、マーケティングなどを担当。スイス国際経営大学院のMBAを取得し、シリコンバレーで複数の会社を立ち上げる。10年6月から、エバーノート日本法人会長。河合博司撮影

■早い行動の裏に個人の判断力

 この度の地震そして津波の被害にあわれた皆様に、心からお見舞い申し上げます。

 私は地震の第一報を、ツイッター上での日本の友人のつぶやきで知ったので、ほぼ発生と同時に知る事になったのですが、少しずつ時間がたつにつれ、その震災の規模の余りの大きさに戦慄(せんりつ)することとなりました。なかなか寝付かれず、深夜までNHKインターナショナルの映像を見ていてたのを覚えています。

 もう一つよく覚えているのは、地震発生から約1時間(米西海岸時間では夜の11時ごろでした)ほどたった頃、当地の友人から電子メールやフェイスブックのメッセージが届き始め、もちろんその多くは親類や知人の安否を尋ねてくれるものなのですが、同時に「困っている人のためになにかできないか」という個人のメッセージが多数届いた事でした。

 普段の会話でも、メールでも、サポートラインとの電話のやりとりでも「Is there anything I can do for you?(私になにかできる事はありませんか)」というフレーズはかなり頻繁に使われるため、ただのマニュアル的な決まり文句ではないかと思う事すらあるのですが、こういう有事になると、それが口先だけの言葉ではなく、かなり彼らの本音に基づいた言い回しであった事が分かります。

 私の子供の通う小学校では、地震発生の翌日の朝に早速、保護者が集まり、有志でチャリティーコンサートを開催する事を決定、準備に動き出しました。週末を含め4日しか準備する時間がなかったのに、地震発生の翌週の水曜夕方には、この市立小学校の講堂で手作りのコンサートが行われ、その日だけで2万6千ドルが集まり、生徒たちの手で、北カリフォルニア日本文化コミュニティーセンターという非営利団体に、小切手が手渡されました。

 コーラスグループあり、三味線の演奏ありのコンサート。出演者はもちろんボランティアです。会場の準備や告知、食べ物や飲み物の準備はすべて保護者のボランティアで、材料費はすべて保護者の持ち出しです。出演者や保護者の大半は日本人ではありません。

 また私の知るシリコンバレーの複数の会社の幹部らとは、その日のうちにメールで議論を始めていました。今読み返してみると、各人が自分として何をしたいと思うか、自分の責任範囲でなにができるかをつづったメールのやり取りが、地震発生当日の夜中には始まっていました。

 私が翌朝10時にEvernoteのオフィスに顔を出したら、その場で幹部全員によるメールでの議論の続きが始まり、それから1時間後には、日本の会員からの3月分の売り上げ全額を寄付すること、世界900万の無料会員のうち日本語ユーザー全員を即日アップグレードして、震災の情報収集や提供に1カ月間役立ててもらおうということが決定されました。これを公に発表したのは、地震発生から14時間後でした。

 こういう比較的近しいアメリカ人たちの理解と好意、そしてその行動力には在米の日本人として涙が出るほどうれしかったのですが、それと同時に今回、多数の「あまり知らない人たちの小さな好意の数々」に私は圧倒されました。普段あまり付き合いのない近所の人たちから次々に声をかけられることに始まり、近所のスーパーに行くと、会計の際にレジの人から「お前は日本人か、家族は大丈夫か」とたずねられます。震災発生翌日に会員制のスーパーマーケットに買い物に行くと、延々と並ぶレジのすべてで早速日本向けの義援金募集をやっていてびっくりしました。

 スターバックスで持ち帰りのコーヒーを注文したところ、差し出したお札をそのまま返され「間違いでしょう」と言うと、「日本はいま大変そうだから今日のお代は要らない」と言われ感激した、という話もあります。私たちの小学校のチャリティーコンサートの後も、地元も全米主要都市でも、さまざまな個人や団体によって多種多様な義援金集めのチャリティーイベントが引き続き行なわれており、震災から2カ月たった今でも、ほぼ毎週違った案内が届きます。

 私がスイスからシリコンバレーに引っ越して来て10年以上たちますが、日本やスイスのきっちりしたシステムやサービスに比べると、アメリカのそれがあまりにも出来が悪く、細かいミスが日常茶飯事であることにいら立つ事しきりでした。

 銀行が明細を間違ったり、普通の時にいきなり予告なく停電したり、シリコンバレーなのに携帯がつながらない場所がたくさんあったりと、日本の皆さんには恐らく信じてもらえないことが現在でも起こります。

 同時に、その問題を解決するためには、そこにいる「人」と直接交渉しなければいけないこと、そしてその交渉によってかなり結果が変わることを徐々に学びました。日本にいると、戦う相手は主にルールだったり制度だったりしたように思うのですが、こちらでは「人」を見つけて交渉し、よりよい解決策を引き出す必要があるのです。そして数々の問題解決をこなしていく中で、その「人」の裁量範囲が、日本と比べ大きめに設定されてあることに気がつき始めました。

 今回の日本の被災者支援に数々の具体的な行動をとってくれたアメリカの友人たちに心から感謝します。と同時に、普段の生活や仕事の中で「自分の身の丈に合った援助を、自分自身の判断で行う」ことが「個人の習慣」となっている事実が、この数々の迅速な行動を可能にしたのではないかと思うのです。

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