第1回語られないコロナ 無力化された個人 ステイホームの「呪い」は今も

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藤谷和広
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 アーティストで作家の瀬尾夏美さんは2021年、映像作家の小森はるかさんと、コロナ禍で生きる人びとの声を映像や文章、絵で伝える作品を発表した。タイトルは「みえる世界がちいさくなった」。当時、「自粛」や「不要不急」といった言葉とともに、「ステイホーム」が推奨されていた。もうすっかり日常が戻ったように感じるが、みえる世界はちいさくなったままなんじゃないか。そんな問いを携えて、瀬尾さんを訪ねた。

アーティスト・作家 瀬尾夏美さん

 ――作品は、東京に暮らす20代4人が19年から21年にかけて対話を重ねたワークショップがもとになっています。参加した大学生の「2020年は存在しなかった」という言葉が印象的でした。

 彼女は当時、すごく怒っていました。大学祭の実行委員だったんですけど、自分は反対していたのに、こっそり懇親会をした人たちがコロナに集団感染してしまった。「みんな我慢しているのに、あり得ない」と。

 でも、ワークショップを通じて、気づきがあったようです。自分は実家で家族と話もできるけど、もし一人で孤独だったら、こういう懇親会はすごくうれしかったかもしれない。「他者のことをまったく想像できていなかった自分にショック」だと最後に話してくれました。

 コロナ禍では、他者の範囲が、家族とか恋人とか親友に限られてしまった。ワークショップの参加者は必ずしも仲が良いというわけではないけど、ときどき顔を合わせて、丁寧に対話をする。ひとつの疑似社会、コミュニティーですよね。コロナ禍で自分の輪郭が部屋と一体化してしまったと言った人がいますけど、他者と会うことで、自分の輪郭が見えてくる。自分が、わかってくる。そういう機会が、コロナ禍では失われました。

共通体験になっていない

 ――著書「声の地層」では、「未知の災禍を生き抜くために、“多くを語らない”という語りの技術が急速に広まった」とも書いていますね。

 いまでは、語らないことに慣れてしまったかもしれませんね。「みえる世界がちいさくなった」ことすら、忘れている。

 ワークショップでもそうでしたが、みんな問いかければしゃべるんです。でも、聞かれなかった。聞く人がいなかった。

 個人の語りが寄り合わさって、コミュニティーで共有され、「物語」となることで、記憶が継承されます。でも、コロナ禍ではコミュニティー自体が失われ、新たに形成するのも難しかった。だから、物語がない。誰もが当事者だったはずなのに、共通体験になっていません。

 そのため、コミュニティーと…

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この記事を書いた人
藤谷和広
くらし科学医療部|医療、災害
専門・関心分野
民主主義
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    高橋真樹
    (ノンフィクションライター)
    2025年4月6日20時19分 投稿
    【視点】

    記事にもあるとおり、コロナ禍に失われたことや、その時期に生まれた言葉やコンセプト、そして身につけた「常識」や習慣が、今の社会、そして個人に大きな影響を与えていると思います。私自身、コロナ後遺症になり、今も、以前とまったく同じような生活はでき

    …続きを読む