広島で被爆死の米兵「12人」 76年前の米公文書の存在が明らかに

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編集委員・副島英樹

 広島への原爆投下で被爆死した米兵捕虜は12人――。そう記された1948年の連合国軍総司令部(GHQ)作成の捜査報告書が明らかになった。米政府が自国民の被爆死を長らく認めない中、戦後間もない段階で米国の公文書には記されていたことになる。

 被爆死米兵の数をめぐっては、広島の資料研究者や被爆者が独自に調査し、「12人」と結論づけており、それを裏付ける形となった。

 文書は48年12月20日付の「GHQ法務局調査課報告書№2779」で、タイトルは「広島県広島市での1945年8月6日の原爆投下の結果としての米搭乗員12人の死」。米国立公文書館が所蔵しており、今年1月、朝日新聞記者が国立国会図書館を通じて写しを入手した。

 戦後、捕虜への虐待などBC級戦犯を裁くため、GHQ法務局が捜査していた。「残虐行為の証拠は得られていない。訴追はしない。事件は解決」と記されている。12人の氏名のリストはない。

 米政府は戦後も長い間、米兵捕虜が広島で被爆死したことを公式に認めなかった。米国の歴史学者の問いに答える形で米軍が初めて公式発表したのは83年だが、当時は「陸軍8人、海軍2人の計10人」とだけ発表し、氏名は明かさなかった。2016年5月に広島を訪問した当時のオバマ大統領は、広島平和記念公園での演説で12を意味する「dozen」という単語を使い、被爆死した米兵捕虜に言及した。

 広島で被爆死した米兵については、市井で調査が進んだ。起点となったのは、1977年に当時広島大学原爆放射能医学(現放射線医科学)研究所助手だった宇吹暁さん(78)=元広島女学院大教授=が外務省外交史料館に通ってまとめた「ウブキズ・リスト」だ。

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この記事を書いた人
副島英樹
編集委員|広島総局駐在
専門・関心分野
平和、核問題、国際政治、地方ニュース