(社説)安倍氏を悼む 「国葬」に疑問と懸念
在任期間は憲政史上最長となったが、安倍元首相の業績には賛否両論がある。極めて異例の「国葬」という形式が、かえって社会の溝を広げ、政治指導者に対する冷静な評価を妨げはしないか。岸田首相のこれまでの説明からは、そんな危惧を抱かざるをえない。
首相が国葬の方針を示したのは、事件から間もない先週の記者会見でだった。計8年8カ月にわたって首相の重責を担ったことに加え、日本経済の再生や日米関係を基軸とした外交に大きな実績を残したことなどを理由に挙げた。
国葬の費用は全額、国が賄う。ただ、その対象や形式、手続きなどを定めた法令はない。戦前は「国葬令」があったが、1947年に失効した。首相は国の儀式を内閣府の所掌事務のひとつとした内閣府設置法を根拠にあげたが、基準がない以上、時の政権の政治判断となることは避けられない。
国葬は一度だけ例がある。敗戦直後の苦難の時代に、計7年あまり首相を務め、日本の独立を回復させた吉田茂が67年に死去した際だ。それから半世紀以上、国葬は行われていない。
安倍氏以前に首相の連続在任が最長の7年8カ月だった佐藤栄作の場合は、政府、自民党、国民有志による「国民葬」だった。国葬は法的根拠があいまいなうえ、首相退任から死去まで3年足らずしかなく、吉田ほど歴史的評価が定まっていないことなどが理由とされた。
80年の大平元首相以降は、首相経験者の葬儀は政府と自民党の合同葬が慣例となり、約5年間の長期政権となった中曽根元首相も同様だった。
今回の国葬には、共産党、れいわ新選組、社民党が反対を表明し、立憲民主党は閉会中審査での説明を求めるとしている。こうした異論も予想された中、首相は早々に方針を打ち出した。安倍氏を支持してきた党内外の保守勢力への配慮だとしたら、幅広い国民の理解からは遠ざかるだけだ。
社説は安倍氏の政策の是非を厳しく問い、国会を軽視し、異論を排除するような政治姿勢も批判してきた。立憲主義をないがしろにした安保法制の強行は世論の分断を招き、森友・加計・桜を見る会をめぐっては、長期政権の弊害が明らかで、それはいまも解明されていない。
首相は「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」と、国葬の意義を語った。安倍氏を悼むのは当然だ。ただ、弔意の強制はあってはならない。国葬が政権の評価を定めるものでもない。自由な論評を許さぬ風潮が生まれれば、それこそ民主主義の危機である。
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。
【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら