(社説)水俣病65年 いつまで放置するのか

社説

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 いまも大勢の被害者が患者認定を求めている。これ以上放置してはならない。救済を尽くすことが、二度と同じ過ちを繰り返さない決意の土台となる。

 穏やかで幸豊かな九州・不知火海でとれた魚を食べた人たちに次々と中毒症状が表れ、熊本県水俣市の病院が「原因不明の病気の多発」と保健所に届け出たのが1956年5月1日。そうして水俣病が公式確認されてから、あさってで65年になる。

 原因は、化学メーカー「チッソ」水俣工場が海に流した排水に含まれていたメチル水銀だった。食物連鎖で魚介類に蓄積され、汚染を知らずに食べた人たちに病が広がった。

 公式確認後も、チッソは工場排水との因果関係を認めようとせず、国や県も垂れ流しを放置した。68年にようやく国が「公害病」と認定。これまでに2283人が患者認定され、約7万人が被害を認められた。

 しかし、なお約1400人が熊本、鹿児島両県に患者認定を求めており、国などを相手に裁判を続けている人も約1700人いる。

 背景にあるのが患者認定の厳しさだ。最高裁が04年、13年と広く救済する旨の判決を示しても、国は基準を改めようとしない。09年に施行された水俣病被害者救済法(特措法)が「あたう限り救済する」として「最終解決」を掲げたのは、いったい何だったのか。

 患者らの訴えに耳を傾け、認定基準の見直しや救済の拡大を急がねばならない。特措法が定めながら実施していない住民の健康調査も不可欠だ。民間医師団などの調査では、特措法などに基づく救済対象の地域や年代以外の人からも、被害者に似た症状が確認されている。民間の協力も得ながら、調査では対象範囲を広くとることが肝要だ。

 水俣病では、公式確認から公害病認定までの12年に及ぶ「空白」が、昭和電工による新潟水俣病の被害につながった。行政や原因企業の不作為がもたらす罪の重さを痛感する。

 すでに水俣病の認定患者の9割近くが亡くなるなど、被害者に残された時間は多くない。患者とその家族らは懸命に水俣病を語り継ぎ、公害や環境破壊を繰り返さないための活動を続けている。そうした声は文学作品映画でも紹介され、水銀被害の深刻さを国内外に伝える原動力となってきた。

 17年に発効した国際条約「水銀に関する水俣条約」の条約名や前文に「水俣」を盛り込むよう提案したのは日本政府だ。19年に就任した小泉進次郎環境相は、水俣病が環境省の「原点」だと繰り返す。その言葉に偽りがあってはならない。

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