第32回「共産と協同、宏池会の伝統に反す」 宮沢喜一氏が加藤の乱時にメモ

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池田伸壹 西村圭史 松田京平
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 故・宮沢喜一元首相による40年間の日録で、戦後日本の保守本流として軽武装・経済重視を牽引(けんいん)し、自身も率いた自民党派閥「宏池会」に触れた記述がある。

 宮沢氏から派閥「宏池会」の会長を継いだ加藤紘一氏が、森喜朗内閣打倒に向けて動いた2000年の「加藤の乱」。宮沢氏は首相退任から5年後の1998年、小渕恵三首相からの「三顧の礼」に応えて再び蔵相に就き、森内閣でも留任していた。

 「『共産党と協同して不信認…

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この記事を書いた人
西村圭史
政治部|与党担当・サブキャップ
専門・関心分野
国内政治、社会保障、民主主義
松田京平
政治部長
専門・関心分野
政党政治、選挙、地方自治
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    中北浩爾
    (政治学者・中央大学法学部教授)
    2025年3月28日10時3分 投稿
    【解説】

    かつて宮沢喜一内閣では、小沢一郎氏ら自民党の羽田孜派が野党の内閣不信任決議案に賛成し、可決されました。その後、小沢氏らは離党して、非自民非共産の八党派連立政権を樹立します。その際とは異なり、なぜ「加藤の乱」で宏池会はまとまって内閣不信任決議

    …続きを読む
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    河野有理
    (法政大学法学部教授)
    2025年3月28日12時28分 投稿
    【視点】

    興味深い記事である。かつて、宮澤喜一が「ニュー・ライト」としてメディアや論壇で華々しく活躍していた時期がある。その時期に書かれた宮澤の著作『社会党との対話 ニューライトの考え方』(1965年)は題名の通り、「レフト」との、具体的には社会党と

    …続きを読む

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