訪ねてきたのは、8歳の男の子だった。ミャンマーから来たという彼は、両親に挟まれてソファに座っていた。慣れない日本で、子どもをどこに行かせたらいいかもわからない家族が、つてをたどって頼ったのが、東京都板橋区にある和敬保育園だった。
「小学校に入れるんだったら入りたい?」。保育士だった四津谷伸子さん(92)がそう聞くと、日本語がわからない彼に、父親がミャンマー語に直して伝えた。寂しげだった表情がぱっと明るくなった。
日本語をいちから学べる小学校を見つけたが、入学までの数カ月は毎日のように保育園にやってきた。
彼は、創作が好きだった。細かい迷路を描いたり、切り絵でチョウやトンボをつくったり。言葉が通じなくても、あっという間に人気者になった。小学校に入っても、夏休みになると保育園にやってきた。
その胸のうちを、知ったことがあった。
彼が小学6年のときのことだ…
- 島崎周
- 東京社会部
性暴力、性教育、被害と加害、宗教、人権、文化
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