スミソニアンはなぜ原爆展をやめたか 元学芸員に聞く、正当化論の今
米ワシントンにある国立スミソニアン航空宇宙博物館が、原爆投下後の広島と長崎の街を写した写真の展示を新たに計画しています。同博物館は1995年、被爆資料の展示を企画しましたが、米国内で激しい反発に遭い、事実上の中止に追い込まれました。当時、同博物館で学芸員を務めていたグレッグ・ハーケン米カリフォルニア大名誉教授に、新たな展示計画や今の米国内の受け止めをどう見るか、聞きました。
――スミソニアン航空宇宙博物館が2025年の展示の刷新に合わせ、原爆投下後の広島と長崎の街を写した写真を新たに展示する計画を進めています。過去の経緯を知る立場として、どう見ますか。
原爆投下から50年に当たる1995年に合わせ、博物館は広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」と被爆資料を展示する計画を進めていました。それが失敗し、その後、スミソニアン博物館は物議を醸すテーマを避けようとしてきました。博物館が再び、原爆による被害の写真を展示しようとしているのは、興味深いことです。
ただ、遺品が展示されない予定なのは残念です。95年には、(原爆で黒こげになった)「弁当箱」も展示するはずでした。これは私たちの計画のなかで、最も感情に訴える展示物の一つでした。弁当箱の米や豆が溶け、どれほど爆発の熱が強烈だったかわかります。
私たちは早い段階で、焼け焦げた遺体といった恐ろしい写真は展示しないことを決めていました。それでも、弁当箱のような遺品は、破壊された建物の写真を展示するだけでは伝えることができない、人間の悲劇についての理解を促すものです。
展示にあたって広島平和記念資料館が、遺品の貸し出しに積極的だったことに感銘を受けました。しかし、米空軍協会といった反対派はこうした遺品を展示しないように要求し、展示から削られていきました。当時のマーティン・ハーウィット館長が「弁当箱は展示しない」と言ったときのあきらめの気持ちをよく覚えています。
――新たな展示には、90年代のような反発が起きうるでしょうか。
90年代と比べれば、時間が…
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- 【視点】
1995年の原爆展示中止は鮮明におぼえている。スミソニアン博物館といえば、充実した展示と高水準の学術活動の双方で名高い。全世界の博物館関係者の垂涎の的であり理想の姿でもあった。そのスミソニアンが退役軍人たちの「横やり」に屈したと聞いて、大き
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