第15回「国防は守るに足るだけでよい」 軍部と闘った高橋是清、その教訓

有料記事安保の行方を考える

聞き手・西尾邦明
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松元崇・元内閣府事務次官に聞く

 戦前に首相や日本銀行総裁を務めた高橋是清は、しばしば積極財政論者にもてはやされる。蔵相として、日銀引き受けによる国債(借金)の増発を財源とする経済対策で、昭和恐慌から経済を立て直したからだ。

 ところが、高橋是清研究で知られる元内閣府事務次官の松元崇氏は基本的に「財政健全論者だった」と話す。2・26事件(1936年)で陸軍青年将校に暗殺されるまで、軍部の暴走を抑えるために軍事費の抑制を主張していたという。防衛費増額の議論が進む中、歴史の教訓を聞いた。

――赤字国債の発行による財政出動を主張する積極財政派の人たちは「高橋是清に学べ」と主張しています。

 「誤解ですね。昭和7(1932)年ごろから昭和11(36)年の2・26事件までの高橋財政について、当時の新聞は『健全財政』と呼んでいました。この間、一般会計の歳出は約22兆円でほぼ横ばい。軍事費は経済成長並みの伸びにとどめ、軍事費以外は前年度比で予算を減らしています。確かに昭和恐慌を受けて高橋は、昭和6(31)年に金輸出再禁止で通貨の発行限度額を増やして低金利の状態をつくり、日銀の国債直接引き受けによる財源で、農村の疲弊対策に取り組みましたが、実際は井上準之助前蔵相のデフレ政策を元に戻したというだけなのです。大きな財政出動も、一時の便法と考えていました」

借金頼みの政策では… 高橋の警告は現実に

岸田政権の防衛力強化を高橋是清目線で考えるとどう見えるか。松元さんは、高橋蔵相が殺害前の最後の予算編成で、陸軍に向き合った姿勢や発言を紹介しながら、考えていきます。

――ずっと財政に頼ったわけではなかったのですね。

 「はい。不況から脱したらす…

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