単独インタビュー 村田諒太が語るプロ10年の〝収支決算〟
ボクシングの村田諒太(37)が現役引退を決断した。「日本人離れした」と評される体格、パワーで世界的に層が厚いミドル級でロンドン五輪金メダル、プロ転向後も世界王者となった。最後の試合は昨年4月の世界ミドル級王座統一戦。ミドル級歴代最強とも言われるゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)に壮絶に敗れた。引退に至るまでの心境、プロ入り前後の葛藤、これからの人生について朝日新聞に語った。
――最後の試合となったゴロフキン戦からもうすぐ1年。なかなか引退の決断がつかなかった。
まだやれるな、やりたい、という気持ちはもちろんあった。あの試合の敗因は、ぼくのスタミナが切れてしまって前に出られなくなったこと。だから、もっとボクシングが強くなれる、という気はしている。
ただ、きりがない。いつまで追いかけるんだ、と。加齢とともに目も悪くなっている。2017年、(微妙な判定でプロ初黒星となった)アッサン・エンダムとの1戦目のあとから、試合後は目が見えづらい。長年のダメージはたまっていた。
――ゴロフキン戦は、中継した動画配信サービス、アマゾンの1日の視聴者数の記録を塗り替えた。
惜しいですけどね。ボクシング界にアマゾンという巨大資本が入ってきて、今までのファイトマネーの概念を崩した。桁が違う。10年前にぼくがデビューした当時の報酬は1千万円。今なら10倍いくかもしれない。ただ、得られるものがお金だけでは、やはり意味がない。
――引退に気持ちが固まったのは。
年が明けてから、バングラデシュで貧困層を相手に事業資金を少額融資するグラミン銀行(農村銀行)を設立してノーベル平和賞を受賞したムハメド・ユヌスさんと対談する機会があった。彼が言ったのは、「すべてはスタートです」。何かを達成してもスタートに過ぎない、と。
自分の人生を振り返るとそうだった。金メダルがゴールだと思ったら、スタートでしかなかった。世界チャンピオンになったと思ったら、ゴロフキンという怪物が待っていた。引退をゴールだと考えるからネガティブになってしまう。スタートだととらえ直すと、喪失感みたいなものはなくて、楽しみに感じるようになった。
――現役時代は、多くのものを背負って戦っているように見えた。
重かった、かな。楽しかったのは(アマチュアの)世界選手権で準優勝した11年まで。負けちゃいけない存在になり、12年ロンドン五輪もメダルを取らないといけない、と。自分で作り上げたものだけど、絶対的にしないといけない義務が生まれた。
――プロ入り後はさらに重圧が増した。
もちろん挑戦者ではあったけど、金メダリストとしてプロ入りする以上、守るもの、義務ができるので。重たい道になることは分かっていた。
あるところからは、報酬は1…
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- 【視点】
取材に同席させてもらいました。村田さんは会話の一つ一つが面白くて、考えの幅の広さに引き込まれました。これまでは「戦う哲学者」と言われることもあって、大げさでなく命をかけて戦うボクサーならではの死生観にうならされることが多かったのですが、今回
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