(声)力くれた母の口癖、かみしめる
無職 鳥羽裕幸(大分県 74)
母の口癖は「我慢していればきっといいことがある」だった。私が高校で勉学に行き詰まった時、結婚にこぎつけるまでに8年かかった時、就職試験に失敗した時など、悩んだり落ち込んだりしている時にこの言葉が出てきて随分と力づけられた。
考えてみれば母の人生こそが我慢、我慢の人生だった。看護師として社会的に自立していたにもかかわらず、父とお見合いをして片田舎に嫁ぎ、高齢のしゅうと・しゅうとめなど5人の面倒を見る羽目になった。病弱だった父に代わり家業をほとんど一人で切り盛りした。温泉や旅行などに行ったこともなかったし、お気に入りの着物一枚買ったこともなかった。
母の亡くなった年齢に近づいてくると、口癖の意味を考えるようになった。その言葉をかみしめながら、母に一つでもいいことがあってほしかったと思う…