終戦直後、米軍接収下の甲子園 貴重写真が切り取った翻弄の歴史

有料記事

島脇健史

 8月1日で開場から100年を迎える阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が終戦直後、米軍に接収されていた当時の写真が神戸市文書館に寄贈された。専門家は「当時の甲子園は誰も近づけなかった。大変貴重な写真」と指摘している。

 甲子園は1924(大正13)年に開場。戦争の影響で全国中等学校優勝野球大会(現・全国高校野球選手権大会)は41(昭和16)年の第27回大会は中止され、42~45年は中断した。

 阪神電気鉄道(大阪市)の五十年史などによると、甲子園は太平洋戦争下の44年、日本軍に接収された。外野はトラックの置き場になり、室内運動場は川西航空機の倉庫になるなど球場全体が軍需工場となった。

 終戦を迎え、甲子園は直後の45年10月に米軍が接収した。兵営となり、貴賓室は最高将校の宿舎に、場内には炊事場が急造され、米兵向けの体育学校もつくられた。

外壁には「KOSHIEN STADIUM」 寄贈したのは

 夏の甲子園は46年に第28…

この記事は有料記事です。残り650文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【春トク】締め切り迫る!記事が読み放題!スタンダードコース2カ月間月額100円!詳しくはこちら

この記事を書いた人
島脇健史
神戸総局|選挙・震災担当
専門・関心分野
地方行政・選挙、気象・災害、地域医療