永田洋子の手紙につづられた遠山美枝子の最期 「お母さんみてて」
現場へ! 「連合赤軍」指輪物語②
仲間をリンチで殺害した連合赤軍(連赤)事件で犠牲になった遠山美枝子(当時25)の母、幸子(ゆきこ)は、関東圏にある特別養護老人ホームで1月、100歳の誕生日を迎えた。
半世紀以上も前の苦い記憶は今も心の奥底にしまっている。
幸子はこれまで、メディアの取材に応じなかった。
連赤事件への世間の批判はすさまじく、自殺した加害学生の親もいた。被害者遺族であっても、周囲から「過激派の家族」というレッテルを貼られた。
美枝子の双子の姉(77)は、事件後に離婚した。子どもを抱え、働こうとしたが、面接で何度も落とされたという。
幸子は世間の目に負けず、美枝子と同じく山岳アジトで亡くなった被害者の親と連絡を取り、現地へ供養に行った。裁判が始まると傍聴にも出かけた。
美枝子が赤軍派の創立メンバーになったのは、働きながら明治大学に通っていた時だ。1971年、赤軍派は幹部らの相次ぐ逮捕で弱体化し、散弾銃などの武器を入手していた永田洋子率いる革命左派との合体で組織を立て直すことが急務だった。
美枝子は12月、赤軍派の仲間と一緒に山梨の山岳アジトへ向かい、共同軍事訓練に参加する。二派は合体して、連合赤軍となった。
訓練時に永田は、美枝子がしていた金の指輪を結婚指輪と勘違いし、「革命戦士として自覚にかける」などと批判した。美枝子が指輪をすぐに外さなかったため、「総括」と称した集団リンチをエスカレートさせていく。リンチのきっかけとなった金の指輪は、母の幸子が贈ったものだ。
〈私 遠山美枝子の母です〉で始まる長い手紙を、幸子は、殺人罪などで逮捕・起訴され、獄中にいた連合赤軍リーダーの永田洋子(元死刑囚、2011年に獄中で病死)、森恒夫(1973年に獄中で自殺)、坂口弘(死刑囚で収監中)ら十数人に送っていた。
永田洋子が遠山幸子に宛てた手紙
永田洋子が遠山幸子へ宛てた手紙には遠山美枝子の最期の様子がつづられていました。その中身とは?
永田へ宛てた手紙で、幸子は…
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- 【視点】
この連載のデスクワークを担当しましたが、文章を監修しながら物語にはまり込んでしまいました。あの事件をリアルタイムで知る人も、そうでない人も、必読の独自だねストーリーです。 若さゆえの過ちと言うだけでは決して済まされない理不尽なリンチと殺人
…続きを読む