被災地のスポーツができること 「阪神」経験の地元クラブ幹部の思い
「喜びや悲しみを共有できるのがスポーツの魅力」。サッカーJ3ツエーゲン金沢の和田昌裕ゼネラルマネジャー(GM)は、能登半島地震の被災地をホームタウンとするクラブとして「活動を止めてはいけない」と話す。29年前の実体験から得た学びだ。
J1ガンバ大阪の取締役から5年ぶりの金沢復帰を目前に控えた元日、石川県を最大震度7の地震が襲った。自宅がある神戸市にいた和田さんは、ニュース映像をみて「大丈夫かな」と不安を募らせた。選手は全員無事だったが、中には輪島市の祖父母の家が壊れたために金沢市の実家で受け入れた選手もいたという。
和田さんはガ大阪のディフェンス(DF)として活躍していた1995年1月、阪神・淡路大震災に遭った。大阪市内の自宅ではタンスが倒れてきた。実家のある神戸市に向かったが、住宅や高速道路が崩れて「道がなかった」。いつもの6倍以上となる6時間かけて家族の無事を確認できた。
その夏、当時日本フットボールリーグ(JFL)のヴィッセル神戸へ。Jリーグより下のカテゴリーへの移籍だったが、「地元に恩返ししたい思いが強かった」と志願した。
練習場の横にはネットを隔て…
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