シベリアで鉄道建設に従事 悪夢の3年間

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 陸軍航空士官学校の卒業を前に旧満州で飛行訓練に励んでいた時、終戦を迎えた。東部の杏樹という街にいた私たち士官候補生数十人は、帰国が遅れてソ連軍の捕虜となり、他の兵士と共に東シベリアのタイシェト地区にある収容所に送られた。

 収容所では第二シベリア鉄道建設のため、森林伐採や、れんがや枕木作りなど厳しいノルマに追われた。ある朝、目を覚ますと隣にいた年配の召集兵が黒パンのかけらを握ったまま死んでいた。1945年の冬は栄養失調や作業中の事故で死者が相次ぎ、小屋にはやせ衰えた裸の遺体が凍ってマネキン人形のように置かれた。次々に運び出しては凍土を掘って埋めたが、彼らの名前や出身地も聞かずじまいだった。

 2度目の冬を越した頃から衣食住は次第に改善されたが、望郷の念は日増しにつのり、仲間の間では故郷の食べ物のことばかり話題にのぼった。この頃からスターリン礼賛のプロパガンダで埋まった「日本新聞」が配られ、思想教育が徹底された。

 待望の帰国が実現したのは3年目の夏。ナホトカで帰還船永徳丸のタラップを駆け上がった時、私はようやく悪夢から解放された。

(岡山県、男性、95歳)

*2021年6月19日紙面掲載

 朝日新聞の投稿欄「声 語り…

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