群馬・両毛地域は英国マンチェスター? 地域支えるJR両毛線
「両毛はマンチェスターだ」。こう語ったのは、明治期に織物産業が盛んな栃木、群馬を結んだ両毛鉄道初代社長で経済学者の田口卯吉だ。世界初の鉄道が開通し、同じく繊維業で栄えた英国の工業都市マンチェスターになぞらえ、鉄道の重要性を訴えた。いま、線路はJR両毛線に引き継がれ北関東をつなぐ動脈になっている。歴史を振り返り、沿線を歩いた。
両毛線は高崎駅(正式には新前橋駅)と小山駅との間、約90キロを走る。路線図を見ると、北へ南へ、ジグザグ状だ。昭和40年、50年代に両毛線の運転士を務めた反町松市さん(86)は「のこぎりの歯のようなルート。カーブが多いので、直線でも速度を抑え気味だった」と振り返る。
鉄道と沿線地域の産業構造に詳しい白鷗大の奥澤信行教授(経済地理学)は、ルート設定の背景を教えてくれた。「両毛線は、ほぼ十数キロの等間隔にある自立性の高い都市を結ぶ、全国的に珍しい路線。位置関係を見ると『ジグザグ型都市群』。繊維業を共通の基盤として製品輸送に必要な鉄道をつないだ結果、今のルートになった」と話す。
奥澤教授によると、両毛線の機能は、かつてはこの地域で生産される輸出向け生糸輸送だったが、現在は栃木側は高校生の通学、群馬側は通勤を支える役割が大きいという。
実際、記者が平日午後に乗車した際に、足利から小山方面の主要駅では高校生が次々と乗り込み、満員に近い状態だった。
ただ、栃木と群馬で運行に差があるとも指摘する。「前橋市、高崎市、伊勢崎市と人口が集中する区域を通過する群馬と比べて、栃木側の運行本数は少ない」。
時刻表(平日)を見ると、高崎発小山方面は朝夕を中心に1時間3~4本の時間帯が11回あるのに、小山発高崎方面は乗客の多い朝夕でも1時間2本しかない。さらに、高崎発は群馬県内が終点のも多い。
両毛線の小山―足利間が開業したのが明治21(1888)年。鉄道敷設の中心的役割を果たしたのが、織物が盛んだった栃木県足利市の織物買継商、木村半兵衛だ。
日本経済史に詳しい立教大の老川慶喜名誉教授によると、木村は当初、現在の東北線が埼玉県から東北方面に延伸が計画された時、熊谷から足利方面にルートを設定するよう政府に働きかけた。しかし、大宮から宇都宮に至るルート案が採用され、誘致に失敗。
木村は戦略を見直し、東北線の小山駅とつなげる両毛鉄道敷設をめざして資金集めに奔走し、実現させた。
鉄道会社の発起人となった初代社長の田口は、開業の前年、栃木県内で演説した。マンチェスターが鉄道敷設により綿工業都市に発展した例をひき、「両毛の桐生、足利を日本のマンチェスターにするため、鉄道は必要欠くべかざるものだ」と訴えた。地元経済人はこれに賛同し、出資に応じた。
両毛鉄道は開業の翌年には、他の民間鉄道会社の路線と接続して小山―高崎間を鉄路でつないだ。
老川名誉教授は、両毛地域の繊維業が近代化し、発展したことは、日本の資本主義発展に貢献したと指摘する。「東京や大阪など大都市だけ発展するのではなく、地方経済も力をつけることで日本経済の近代化が進んだ」と話す。
両毛線沿線の栃木、群馬の自治体や経済団体でつくる組織はいま、小山駅で接続する水戸線、常磐線(茨城など)、高崎駅で接続する八高線(埼玉、東京)などを連結した、「首都圏外周環状線」構想の実現をめざしている。
茨城、栃木、群馬の沿線市議会は2018年、首都圏直下地震発生時に、外周環状線は首都圏を迂回(うかい)する代替物資輸送ルートになるとして、国家事業によっての実現を求める意見書を国に提出した。
北関東は、内陸部が地震などの災害リスクが比較的低いとされる。コロナ禍でテレワークが普及するなか、東京圏に近い地の利をいかし、エリア連携のプロジェクトで地域を元気にしたい。
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