60歳で認識した水俣病、兄は救済されたのに 閉廷後に起こった拍手

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堀之内健史 戸田和敬

 「健常者が当たり前にできることができないことで人から奇異に思われるなど、日常生活上及び職業上の様々な支障を生じている場合が多い」。96席の傍聴席が埋まった大阪地裁の202号法廷。判決の主文だけを述べて終わることが珍しくない民事裁判だが、達野(たつの)ゆき裁判長は、約20分かけて判決の内容を説明した。時折うなずきながら、静かに聴いていた原告ら。閉廷後は拍手が湧き起こった。

水俣病被害者救済法(特措法)で救済を受けられなかったのは違法だとして、大阪府などに住む50~80代の128人が国や熊本県、原因企業チッソに1人あたり450万円の損害賠償を求めた「ノーモア・ミナマタ近畿訴訟」の判決が27日、大阪地裁でありました。達野ゆき裁判長は原告全員が水俣病だとし、国などに賠償を命じました。

 大阪市内で記者会見に臨んだ原告の松尾厚子さん(68)=愛知県春日井市=は、声を詰まらせながら語った。

 「勝利判決が出るまで9年。本当にうれしい。公正に判断をしていただいたのと、原告団が一枚岩になって頑張ってきた結果です」

 自身が水俣病だと認識したのは、60歳のころだった。

「人に話してはいけないよ」 父は繰り返し語った

 「水俣病について一切、人に話してはいけないよ」。父はことあるごとに、子どもたちに言い聞かせた。住民の多くが原因企業のチッソに勤めていた熊本県水俣市。父もその一人だった。

 松尾さんは幼少期を過ごした…

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