自衛隊「違憲」 長沼判決から50年 いまも重み、元裁判長が語る

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編集委員・永井靖二

 戦後、ただ1度だけ裁判所が正面から自衛隊を「違憲」とした「長沼一審判決」から、7日で50年を迎える。現在も安保政策に影響を及ぼしているとされる同判決について、裁判長だった福島重雄さん(93)が思いを語った。

 「『唯一』になるつもりは、なかったんですがね」。郷里の富山市内で弁護士を続ける福島さんは、憲法9条と自衛隊の整合性を司法が判断しないままで過ぎたこの半世紀を振り返った。

 1969年7月に提訴された長沼裁判は、北海道長沼町にできるミサイル基地(現・航空自衛隊長沼分屯〈ぶんとん〉基地)の予定地について、「公益上の理由」として、水害を防ぐための保安林指定を国が解除したことの是非が争われた行政訴訟だった。

 「でも原告が本当に問いたかったのは、憲法9条があるのに自分の郷土にミサイル基地が造られていいのか、ということだった」と、福島さんは自衛隊の実体審理に踏み込んだ経緯を語った。

戦艦大和の元乗組員ら、証人は24人に

 自衛隊は、憲法9条2項が禁じた「戦力」なのか。採用した証人は24人に達した。

 旧海軍参謀として真珠湾攻撃の立案に携わり、戦後は自衛隊の航空幕僚長を務めた源田実▽関東軍作戦主任参謀などを務めた元陸軍中将の遠藤三郎▽戦艦大和の乗組員だった海上幕僚長の内田一臣▽南京攻略戦にも参加した元大本営参謀で陸上幕僚長の中村龍平――。旧軍元将校や自衛隊幹部らが、相次ぎ出廷した。

 敗戦から四半世紀のこの時期…

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