福岡の発展約束した米軍基地返還、半世紀後の跡地歩いて見えたものは

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古畑航希
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 福岡市中心部にほど近い福岡空港(福岡市博多区)はかつて米軍板付(いたづけ)基地だった。今から50年前、沖縄が日本に復帰する直前に基地は反対運動の末に大半が返還され、福岡は大都市へと発展した。一方で国内の米軍施設は沖縄に集約され、過度な負担は今も続く。板付基地の跡地を歩き、福岡と沖縄の半世紀を考えた。

国内随一のアクセス 福岡空港はかつて出撃基地だった

 春先の福岡空港は、九州の玄関口として迎え入れる観光客でにぎわっていた。展望デッキに上がると、2・8キロの滑走路がある空港の周囲には住宅街が点在し、遠くに見える福岡市中心部の上空を民間機が飛んでいた。

 今では1日に約130便が離着陸し、地下鉄だと博多駅まで2駅とアクセスのしやすさでは国内随一を誇る福岡空港。半世紀前まで、そこは軍用機が飛び交う軍事拠点だった。

 終戦間際の1945年、旧日本陸軍が完成させた席田(むしろだ)飛行場を戦後、米軍が接収した。50年6月に始まる朝鮮戦争では、朝鮮半島への出撃基地に位置付けられ、滑走路の拡充やジェット機の配備など拡大が続いた。

 福岡市は62年、基地周辺のエンジン音による騒音被害などが問題となり基地対策課を設置。市によると、米軍基地だった45年10月からの約27年間で米軍機の墜落や炎上が34件、装備品の落下などを含めると計114件の事故が周辺で起きた。墜落に巻き込まれるなど計20人の死者も出た。

記事の後半では、米軍板付基地の返還運動に加わった元学生が当時の状況を振り返ります。結果として、沖縄への米軍施設の集約が進んだことについて「せめてもの責任」とは何か、考えます。沖縄の日本復帰前後の米軍基地再編を研究する専門家は、そうした経緯を踏まえ、本土は復帰50年を迎える沖縄とどう向き合うべきか、指摘します。

 68年6月には、滑走路の延長線上に位置する九州大学旧箱崎キャンパス(福岡市東区)にF4ファントム戦闘機が墜落した。死者やけが人は出なかったものの反基地運動が沸騰し、その後の返還へとつながっていった。

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 墜落現場はいま、2018年…

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この記事を書いた人
古畑航希
北海道報道センター|教育、野生動物
専門・関心分野
自然環境、災害、平和