【そもそも解説】諫早湾干拓とは? これまでと今、繰り返される裁判

有料記事そもそも解説

伊藤隆太郎 今村建二
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 長崎県諫早湾干拓事業をめぐる裁判の判決が25日、福岡高裁である。事業の歴史を振り返り、裁判の経緯などをまとめた。(伊藤隆太郎、今村建二)

諫早湾干拓とは?

 干拓とは、海を堤防で仕切って陸地にすることだ。諫早湾では1989年に始まった。97年には、鉄の板293枚が次々と有明海に落とされるシーンが「ギロチン」と言われた。各地の大型公共事業が批判の的になっていた時期だ。

 諫早湾にはかつて、国内最大級の2900ヘクタールの干潟があった。事業は、この干潟のうち1550ヘクタールを含む約3500ヘクタールを長さ7キロの潮受け堤防で閉め切り、干拓地調整池を造るもの。国と長崎県は、農地の造成と洪水対策を目的としている。

 湾に広い水田を造成する計画は、第2次大戦後で食糧難だった52年の「長崎大干拓構想」にさかのぼる。長崎県と国が推進した。

 だが、コメがあまり出し、6…

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