八ツ場ダム 水没地区から移転の小学校が閉校

柳沼広幸
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 八ツ場(やんば)ダム群馬県長野原町)の建設に伴って水没地区から高台に移転し、3月で閉校する小学校が24日、最後の卒業式を迎える。学校の近くに4月3日に開館する地域振興施設「やんば天明泥流ミュージアム」には、木造の旧校舎の一部を移築し、その歴史を伝える。

 「一つ一つの経験が心と体を成長させてくれました」。最後の卒業式を2日後に控えた22日、長野原町立第一小学校(木檜(こぐれ)徳子校長、児童数15人)の体育館に「別れのことば」を練習する児童の声が響いた。6年生6人が巣立っていく。

 八ツ場ダムを見下ろす高台にあり、26日には閉校式を開く。開校以来111年で2800人余りが卒業したが、4月から町立中央小学校と統合する。

 最後の卒業生の黒岩泉吹(いぶき)君(12)は「第一小では最後になる。少し寂しい」。山口百瀬(ももせ)さん(12)は児童全員でドッジボールなどで遊んだのが思い出だ。将来の夢は「犬や猫を元気にする動物病院の先生」と別れのことばで話すという。

 第一小は1909年、長野原尋常高等小学校第一分教場として開設され、54年に独立。利根川流域で土石流や洪水が起きて約1100人が犠牲になった47年のカスリーン台風をきっかけに、山村の学びやをめぐる環境は変わる。52年に八ツ場ダムの調査が始まると、翌年に住民らが第一小でダム反対の集会を開いた。

 長い反対運動の末、ダム建設受け入れが決まると、水没予定地の第一小は高台に移転することに。ダムの受益者の下流都県などが事業費を出し合い、2002年に近代的な校舎が完成した。水没5地区のうち川原畑、川原湯、横壁、林の4地区の児童が学んできた。

 だが、ダム建設で移転を余儀なくされた住民の中には町外に出て行く人も多かった。町の人口は02年4月の7157人から今年2月には5415人に。とりわけ水没5地区は02年4月の2157人から今年2月には1084人と半減した。児童も減り、新入生がいない年もあった。

 第一小の卒業生で林地区の市村敬司区長(67)は「閉校は寂しいが、子どもの教育環境を考えると統合は仕方がない。道路や生活環境が良くなるなど、新しいことも始まっている」と話した。(柳沼広幸)

 第一小近くには、ダム建設の見返りとなる地域振興施設「やんば天明泥流ミュージアム」が完成した。4月3日午後1時半から一般公開される。

 目玉は、1783(天明3)年の浅間山の大噴火による吾妻川沿いの泥流被害の展示だ。「天明泥流」と呼ばれた大災害で、死者は1523人、家屋被害2065戸に及んだとされる。浅間山から約30キロ離れた八ツ場ダムの水没地区周辺でも、ダム建設工事に伴う1994~2019年の発掘調査で数多くの住居跡や生活用具などが確認された。

 その調査の成果として、漆塗りの食器や各地の陶器、お茶が入ったままの茶釜、きせるなど約500件が展示され、当時の豊かな暮らしぶりや災害の様子を伝える。「天明泥流体感シアター」では、映像などで大噴火と泥流などを再現している。

 町教育委員会の古沢勝幸文化財専門員は「江戸時代の生活がよみがえった。日常を奪った災害のすさまじさを知ってほしい」。年間約6万人の入館を見込む。

 ミュージアムの別棟として、第一小で1911~2002年まで使われた旧校舎の一部を活用する。第一小の卒業生で、戦後間もない47年、「上毛かるた」をつくって普及させた財団法人群馬文化協会(現在は解散)の理事長だった故浦野匡彦氏(元二松学舎大学長)の資料などを展示する。

 ミュージアムは利根川・荒川水源地域対策基金から約18・6億円を拠出して建設された。観覧料は一般600円、小中学生400円。第一小の旧校舎は無料。水曜定休。

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