香取慎吾が命名 プロ転向のパラ選手に込めた願い

榊原一生
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慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。緊急事態宣言下の今回は、パラ陸上の佐藤友祈選手(31)とリモートで対談しました。東京パラリンピックを前に退路を断ち、車いすの中距離ランナーとしてプロの道を選択したアスリートと、その決断と覚悟について語り合いました。

 《ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン》

 香取さんが見つめる画面から、SMAPの曲「世界に一つだけの花」が流れてきた。

 《久々に聞いたよ。何の映像?》

 佐藤選手は言った。

 《これは2019年12月の僕の結婚式で流した自己紹介のビデオです。人生の大事な節目の時に、この曲を使いたいと思っていました。》

紙面でも

香取慎吾さんとパラ陸上の佐藤友祈選手による対談は1月31日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 幼い頃からSMAPファンという佐藤選手。香取さんは映像の途中に映し出された「歌が好きで 将来SMAPに入ることが夢でした」という佐藤選手の紹介文に目を留めた。

 《そうなんだ。(解散して)同じメンバーにはなれなかったけど、パラリンピックのメダリストにはなれたんだよね。それがすごいよ!》

 佐藤選手は21歳の時、脊髄(せきずい)炎を発症し車いす生活を余儀なくされた。中学時代は陸上中長距離に励み、高校ではキックボクシングのジムに通った。そんな生活が一変した。

 《病気になって1カ月入院し、退院後は3カ月ほどふさぎ込んでいました。当時は、障害者は介護されないと自分では何もできないと思っていたので、自分がそうなったことでずっと下を向いていたんです。》

 香取さんは言葉をかけた。

 《暗くて長い時間だったよね。どうやって前を向き始めたの?》

 佐藤選手は語り始めた。

 《きっかけは22歳の時にテレビで見た12年ロンドン・パラリンピックでした。陸上で車いすの選手が時速30キロを超える速さでさっそうとトラックを駆け抜けていた。上半身の筋肉がすごくて……。障害者の概念が打ち砕かれたんです。その時に「これ、やりたい」と思ったんです。》

 競技を知ろうと、まずは当時住んでいた静岡県内でパラ陸上競技者を探した。レースに出るため神奈川の直近のレースに出場登録まで済ませたという。香取さんは思った。

 《暗いところから「陸上をやりたい」と光が見えた瞬間の話を聞いて鳥肌が立った。でも今は佐藤さんが、ロンドン大会の選手たちのように自分に光を与えてくれた憧れの存在になっているんだよね。》

 佐藤選手は苦笑いだ。

 《実感はないんですけど。でもあの時、16年のリオデジャネイロ大会に出場してメダルを取ると決断した。根拠はなかった。このままふさぎ込んでいても仕方がない、目指す場所はパラリンピックだと思ってやりきろう。そう考えたんです。》

 佐藤選手は目標に掲げたリオデジャネイロ大会出場を果たし、400メートル、1500メートルでともに銀メダルを獲得。17年世界パラ陸上では両種目で2冠を達成した。思いを実現させることは、そう簡単ではない。佐藤選手はその理由を語った。

 《周囲からは、体が太っていたこともあって無理だと思われていました。でも僕は諦めずに練習を続け、出場するんだと言い続けた。言葉に覚悟を宿したのかも知れません。》

 香取さんはうなずいた。

 《言霊だね。世の中にはかなわないことがほとんど。でも思い続けないとかなうものもかなわない。僕も17年から新たな道に進み始めたけど、先は見えなかった。でも一歩を踏み出さないと、という思いだけはあった。たくさんの人の支えがあってここまでこられた感じかな。》

 佐藤選手はある決断をした。コロナ禍で不安を抱えながらも、1月20日付で所属先を退社。プロ選手としての道を歩み始めた。

 《次のステップに進むことで、パラアスリートとしてさらなる進化と、パラスポーツをより知ってもらうために自分にしかできない活動ができるのでは、と考えたんです。》

 新たな所属先は文字のフォントなどを開発している書体メーカー。香取さんは、佐藤選手を4年前の自分と重ね合わせた。

 《僕と一緒だね。先は見えていないけど、一歩を踏み出した。光があるんじゃないかってね。そう動こうと思った決め手は何だったの?》

 佐藤選手は言った。

 《パラリンピックを一緒に盛り上げたい、グローバルでの成長を目指す企業が、世界で活躍する自分とタッグを組んでやっていきたいと、素直な思いを聞かせてもらったんです。その思いにひかれ、一緒に大きなことをやりたいと思ったんです。》

 香取さんもうれしそうだ。

 《ともに世界でのトップを目指すパートナーが見つかったんだね。格好いいわ。》

 プロとなる佐藤選手は今後、コーチやトレーナーらと一緒に活動を始めることになる。佐藤選手は香取さんにお願い事を切り出した。

 《「チーム佐藤」のような感じで僕のチーム名を香取さんに決めてもらいたいんですけど……。》

 香取さんは少し考えて言った。

 《僕、こういうの嫌いじゃないんだよね。でもこれからずっと使う重要な名前だよね。》

 早速、考え始めた香取さん。佐藤選手の名前の「友祈」は、クリスチャンの両親が「友達のために祈れる人に」との思いを込めてつけたという。その名前をもじって「フレンド(友達)・プレイ(祈り)」と英語にしたり、他の言語に変換したり。

 《プリエ・ワンはどうかな。祈るはフランス語でプリエ。久々に歌を聴いたので、歌詞のオンリーワンのワンでもあり、一等賞のワンでもある。それを自分もみんなも祈っているチームという意味だけど?》

 佐藤さんから笑みがこぼれた。

 《使わせていただきます。リオは銀に終わってしまって、どこか悔しい思いも残った。東京では世界記録を更新しての金を目指す。そのためには1人の力だけでは成し遂げられない。みなさんの応援や祈りが必要。いい意味で支えてもらい、本番での喜びをみんなで分かち合いと思います。》

 佐藤友祈(さとう・ともき) 1989年9月、静岡県藤枝市生まれ。21歳で脊髄(せきずい)炎を発症し車いす生活に。2012年にパラ陸上を始め、リオ大会で400メートル、1500メートル(いずれも車いすT52)の両種目で銀メダル。400~5000メートルまでの4種目で世界記録を持つ。所属先のグロップサンセリテを退社し、21年2月からプロ選手として活動する。

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