「強い日本」優先、かすんだ福島 ソウル大教授語る復興
韓国の知日派といわれる識者は、復興への道のりに関心を持ち続けてきました。その代表格である朴喆熙さんは、震災がアジアの地政学的変動と重なったことの影響を指摘します。
――東日本大震災の日のことを覚えていますか。
よく覚えています。いつものようにソウル大学の研究室にいた時、通信社・連合ニュースの速報で知りました。驚いてテレビをつけたら、大きな津波が街を流れ、大勢の人々が避難する様子が繰り返し映っていました。今まで見たこともない、自然災害の恐ろしさを感じました。
その日のうちに、どうしたら日本の助けになるだろうかと考え、夜、韓国紙の元東京特派員に相談しました。一刻も早く日本向けの募金運動を起こそうということになり、すぐに民間で始まった記憶があります。
――印象に残る日本の姿は。
命を懸けて現場に向かった救助隊やボランティアの活動と、秩序を守る日本の市民意識に感銘を受けました。アメリカでよく見るような暴動も起きず、特に、コンビニでミネラルウォーターを1、2本だけ買ってそれ以上は買わない、家族の分も買いたいだろうに、ほかの人に配慮して我慢する被災地の人たちの姿に感動しました。今も多くの韓国人の記憶に残っているはずです。
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東日本大震災から3月11日で10年となります。被災地の復興や支援、福島第1原発事故への対応など、様々な分野で思いを寄せる人たちにインタビューしました。 震災の経験は私たちに何を残したのでしょうか。
――韓国でも戦後、これほどの大災害は経験しなかった。
韓国人は、自然災害よりも(北朝鮮との)戦争の可能性が高まることに敏感です。1983年に北朝鮮の李雄平(リ・ウンピョン)大尉がミグ19戦闘機で軍事境界線を越えて韓国に亡命した時には、戦争に発展するのではないかという危機感が市民の間に広がり、ラーメンやコメ、水を買い占める騒ぎになりました。
――震災当時の日本は民主党政権でした。日本政治研究の第一人者として、どう見ていましたか?
いくつかの重要な決定が遅れたのではないかとみています。政権としての経験が少なく、アマチュア的なものが極端に出て、緊急の対応に慣れていなかったからだと思います。民主党は、政権を握ってから官僚を排除する政治主導にあまりに重点を置いていたため、いざ緊急事態が起きた時に適切に対応できませんでした。自民党政権であれば、役人や専門家の意見を聞きながら処理していたと思います。
――民主党政権の性格にも関係があると。
民主党は当初から、首相官邸…
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