(社説)「春」後の中東 人道危機を脱する年に

社説

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 「春」の響きとは裏腹の寒々しい光景が広がっている。

 中東のアラブ諸国で独裁政権が次々に倒れた、いわゆる「アラブの春」から10年になる。

 残されたのは出口の見えない混迷だった。とりわけ深刻なのは、複数の国が内戦に陥ったことだ。人道危機が続き、大量の難民が生まれている。

 国際社会は手をこまぬいていてはならない。10年の節目を、破局の瀬戸際から人々を救うために協調する契機としたい。

 端緒は地中海に面したチュニジアだった。2011年1月、四半世紀近くに及ぶ権力の座から、ベンアリ大統領が追放された。民衆の抗議デモが始まってひと月あまりのことである。

 体制転換を求めるうねりは、同じアラビア語を話す国々に広がる。当局が言論統制を試みても、衛星放送SNSで情報は瞬く間に伝わった。その年のうちにエジプト、リビア、イエメンでも政権が崩壊した。

 しかし「春」は長続きしなかった。その後に一定の民主化を遂げたチュニジアは、残念ながら例外と言わざるをえない。

 ペルシャ湾岸のバーレーンでは軍事力でデモが鎮圧され、エジプトはいったん選挙による政権を生んだが、軍の介入で強権体制に逆戻りした。

 統治機構が崩壊したシリア、リビア、イエメンでは戦火が絶えない。政権による過酷な弾圧に加え、多様な民族、宗教・宗派など対立の火種もあった。

 とはいえ、状況を複雑にし、問題の解決を長引かせた大きな要因は、混乱に乗じた他国が、政権と反体制派の双方に武器や資金をつぎ込んだことだ。

 非アラブ国家であるトルコやイラン、経済力で国民の不満を抑え込んだサウジアラビアなど湾岸産油国は、域内の覇権を競う。米ロや欧州の旧宗主国も、中東での影響力維持や石油利権への思惑から介入した。

 その結果、シリアでは約40万人が死亡し、国民の半数を超す1100万人が国内外で難民となった。イエメンでは病院への空爆などで医療が崩壊し感染症が拡大、国民3千万人のうち8割が支援を必要としている。

 国連などによる和平協議で、いずれの国でも限定的な停戦は実現したが、恒久的な平和への道は見えないままだ。

 中東の秩序づくりに米国が果たすべき役割は今も大きい。自国第一主義のトランプ大統領はその責任に背を向けたが、20日に代わって就任するバイデン氏は国際協調を掲げる。この機を逃してはなるまい。

 政権の抑圧から逃れた先に待っていたのは、明日の命も保証されない暮らし。こんな理不尽を放置していいはずがない。

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