(声)平和のバトン 戦地から届いた名前、唯一の遺品

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 介護福祉士 清水雅子(神奈川県 76)

 終戦の2カ月前の昭和20(1945)年6月に、私の父はフィリピンの戦場で病死しました。遺骨はもちろん、遺品も何一つ帰らず、戦地から「女だったら雅子」とつけた名前が唯一の「遺品」となりました。

 戦後の日本は治安が悪く、若者が働く場も少ない中、「警察予備隊」…

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