80年前に始まった日米最後の地上戦 追い詰められた住民の悲劇
80年前の3月26日、沖縄本島の西にある慶良間諸島に米軍が上陸し、日米最後の地上戦となった「沖縄戦」が始まった。
太平洋戦争末期、米軍はサイパンなどのマリアナ諸島を占領後、沖縄への侵攻を決定。1945年3月26日に慶良間諸島の座間味島、27日に渡嘉敷島、4月1日に沖縄本島中部に上陸した。
日本軍は首里に司令部を置いたが、5月末に撤退。避難する住民を巻き込んだ激しい戦闘が続いた。6月23日、本島南端の糸満市摩文仁で牛島満・第32軍司令官が自殺し、組織的な戦闘は終結したが、その後も各地で散発的な戦いが続き、9月7日に日本軍が降伏文書に調印したことで沖縄戦は公式に終結した。
米軍の戦力は後方部隊も含めて約55万人。日本軍は約10万人が迎え撃ったが、うち2万数千人は沖縄の住民や学徒らが動員された。
犠牲者は日米合わせて約20万人。そのうち、沖縄県民は12万人と、県民の4人に1人が亡くなったと言われる。
米軍は上陸直後から、住民不在の集落を破壊するなどして滑走路を建設した。それが、80年後の現在に続く米軍基地問題の原点となっている。
慶良間諸島や沖縄本島では、避難する住民同士による「集団自決」が起きた。戦後80年となる今年、犠牲者を悼む慰霊祭が座間味島で3月26日、渡嘉敷島で同28日に開かれる。沖縄県は、毎年6月23日を「沖縄慰霊の日」として戦没者追悼式を開催しており、この日は県内各地でも慰霊祭が行われる。
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