秀吉の書状発見、「三大水攻め」備中高松城への出陣を前に準備指示

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久保智祥
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 豊臣秀吉が備中高松城(岡山市)の水攻めに先立ち、船の動員や兵糧米の確保といった準備を命じた書状が、金沢市内の寺院で見つかった。調査した専門家は「中国攻めの指揮官として、秀吉が用意周到に準備を進めたことをうかがわせる興味深い史料だ」と評価している。

 1582(天正10)年の備中高松城への攻撃は、秀吉が行った日本三大水攻めの一つ。書状は、縦32・6センチ、横42・3センチで、秀吉の祐筆(ゆうひつ)(書記)が記したとみられる。

 3月2日の日付で、姫路城兵庫県姫路市)を拠点としていた秀吉が、備前国の児嶋表(岡山県倉敷市)に向かう直前、播磨国の飾磨津浦(しかまつうら)(姫路市)の人々に、警固船を一艘(そう)残らず明日・明後日の2日間のうちに、網干(あぼし)浦(同市)に差し向けるよう指示している。

 さらに、兵糧米などについて…

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この記事を書いた人
久保智祥
福井総局
専門・関心分野
寺社、宗教、文化財、文化、美術