差し出され、さげすまれた女性たち 今に続く性的搾取の構図を追って
日本の近現代史のなかで、軽んじられ、黙殺されてきた女性たちの声に耳を澄まし続けてきた。
大学の非常勤講師などを務めながら研究を重ねてきた平井和子さん(69)は昨秋、「占領下の女性たち―日本と満洲の性暴力・性売買・『親密な交際』」(岩波書店)で、すぐれた女性史研究の業績に贈られる第39回「女性史 青山なを賞」を受賞。膨大な資料や証言から、敗戦後の引き揚げや占領下の日本で「性接待」や「性の防波堤」の名のもとに、ソ連兵や米兵に差し出された女性たちの実態に迫った。「成功した」と評される日本占領が、日米合作の性暴力の上にあったことを告発した。
広島市生まれ。歴史学者としての出発点は1980年代、夫の仕事の都合で移住した伊豆半島の女性たちへの聞き取りだ。
静岡県西伊豆の土肥町は明治から昭和にかけて金の一大産出地だった。戦争に行った男性の代わりに金山の坑内で働いた女性や、海に潜って海産物をとる海士(かつぎ)として生計を支えた女性たちが大勢暮らしていた。
結婚にあたって、迷いながらも自分の方が仕事を辞め、姓を変えたのはなぜだったのか。「男は仕事、女は家庭」という役割分担はいつからあるのだろう。ジェンダーに関する疑問を歴史に聞いてみたいと思った。
娘の首が据わるのを待ちかまえるようにして、子連れで伊豆半島をまわり、4年間で約300人の女性に聞き取りをした。
テープレコーダーをまわすと口ごもる女性たちも、庭でわらをなったり、草取りをしたり、一緒に作業をしながらだと気安く話をしてくれた。
愛読していた作家の山崎朋子、女性史研究者の高橋三枝子にならい、聞いた話はその場でしっかり記憶し、反芻(はんすう)しながら帰宅、家に着くと一気にノートに書いた。「女性たちに夕飯をごちそうになって、峠の真っ暗な道を車で越える時も、娘と2人ならまったく怖くなかった」と振り返る。
調査中、誰よりも長く海に潜りテングサをとる名人だった明治生まれの女性が「男の1人や2人、養ってやるのが女の甲斐性だったよ」と話すのを聞き、妻が夫に扶養されることを前提につくられた社会制度やジェンダー規範は最近になってつくられたものなのだと実感した。
研究の足腰を鍛えたいと、39歳で静岡大学大学院に進学。当初は戦時期の女性の国策への加担について調べようと考えていたが、指導教官から頼まれ、県史の編纂(へんさん)を手伝うなかで、戦後、米軍基地ができた御殿場町(当時)に米兵を相手に売春した「パンパン」と呼ばれた女性たちが多く集まっていたことを知った。
県史編纂室に集められた資料…
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