亡き友人の夢を形に 鉄道の街に「博物館」

小陳勇一
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 かつて鉄道の街として知られた佐賀県鳥栖市に「鉄道博物館を」と願い、市内で鉄道カフェを営んでいた男性が今年5月、71歳で急逝した。その思いを少しでも形にしようと、友人らが今月、イベントとして「鳥栖駅鉄道記念館」を開く。名誉館長に就くのは、亡くなった男性だ。

 10年ほど前から鉄道カフェ「門(もん)トス」を営んでいたのは田中伍夫(いつお)さん。鳥栖で生まれ育った田中さんは子どものころから鉄道ファンで、ドイツ語の翻訳・通訳の仕事をしながら、鉄道模型などを収集していたという。そうしたコレクションが門トスを飾っていた。

 田中さんが願っていたのが、鳥栖に鉄道の博物館ができること。鉄道博物館がある埼玉・大宮のように、鉄道にまつわる博物館や記念館などがある「鉄道の街」は少なくない。

 博物館が夢のまま亡くなった田中さんを追悼するイベントを開こうと、市内の学校で同級生だった岡本哲朗さん(70)と久保昭夫さん(70)らが立ち上げたのが「門トス鉄道復活隊」。岡本さんは子どものころ、田中さんとよく鉄道車両を見に行ったという。「復活隊」の会長を務める鳥栖観光コンベンション協会長の松田隆さん(71)は、かつて田中さんにドイツ語を教えてもらった間柄だ。

 鉄道の鹿児島線長崎線が分岐する鳥栖には、機関区や操車場が置かれ、多くの国鉄職員が暮らしていた。「小学生のころ、クラスには国鉄職員の子どもがたくさんいた」と岡本さんは振り返る。その岡本さんの父親も国鉄に勤めていた。

 現在も市内には在来線の鳥栖駅のほか、新幹線も停車する新鳥栖駅、さらに貨物駅もある。しかし高速道の鳥栖ジャンクションの存在感が大きく、「若い人たちは、鳥栖が物流の要衝だとは知っていても、『鉄道の街』だとは知らない」と、岡本さんらは残念がる。

 そんな思いが、今回のイベントのタイトルとなった。「祭―かつて鉄道のまちだった鳥栖」

 「本当は今も鉄道の街だ」という皮肉もこめている。

 22~26日のイベントは、鳥栖市制施行70周年記念事業にも位置づけられた。JR鳥栖駅の南側にある鳥栖電力区・鳥栖信号通信区の建物2階の会場に、往時の鳥栖駅や蒸気機関車などの写真のほか、鉄道模型などが展示される。イベントのことを知った市民や九州各地の鉄道ファンからも、鉄道の歴史にかかわる品が寄せられており、会場に並ぶ。

 「残念ながら、今の鳥栖は歴史や文化の香りが乏しい街になっている。若い人が歴史を知り、街の未来を考える手がかりになったらうれしい」。岡本さんらはそう願っている。

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