「救世主」「独裁者」ペルー社会分断も フジモリ元大統領死去

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岡田玄・前サンパウロ支局長

 支持者には「救世主」として愛され、反対する者からは「独裁者」として徹底的に憎まれた。アルベルト・フジモリ氏は、その後のペルー政治を決定づけた政治家だった。

 両親が熊本出身の日系2世だ。数学の大学教授から政界に転じ、1990年に日系人で初めての大統領となった。

 当時のペルーは年率7千%を超えるハイパーインフレと左翼ゲリラによるテロに直面していた。フジモリ氏は、問題を解決できない既存政党を批判し、変革を訴える「アウトサイダー」として登場した。勤勉さやテクノロジーといった自らのルーツである日本や日系人のイメージを掲げ、急速に支持を広げた。

 農村や山岳部を支配するゲリラから逃れてきた国内避難民には土地を与え、スラム街に電気を引いた。リマ郊外には「フジモリ」と名付けられた地区がいくつもある。経済も安定させ、ペルーの経済成長の基礎を築いた。

 一方、左翼ゲリラに対しては…

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この記事を書いた人
岡田玄
東京社会部
専門・関心分野
中南米、沖縄、移民、民主主義、脱植民地主義