第2回珍獣だった「国宝」パンダ 政治化のきっかけは日中戦争「宣伝戦」

有料記事愛され大使 中国「パンダ外交」はいま

北京=井上亮

 「珍獣の婿探し 女探検家来る」

 1937年8月8日付の東京朝日新聞の夕刊2面に、こんな見出しが躍った。

 記事は、米国人のルース・ハークネスさんが、パンダを捕まえるために中国に向かう船旅の途中、横浜港に立ち寄ったことを伝えている。

 この話には前段がある。ハークネスさんは、上海で客死した探検家の夫の遺志を継ぎ、前年の36年に四川省でパンダの生け捕りに成功。生きたまま米国に連れ帰った。

 パンダが生きたまま外国に渡ったのは初めてのこと。引き取り先の米シカゴの動物園に多くの人が一目見ようと詰めかけ、パンダのぬいぐるみも売られたという。米国はこの時、恐らく世界で初めてのパンダブームに沸いた。

 そこでハークネスさんが翌年、スーリンと名付けられたこのパンダのパートナーを見つける旅に出たというわけだ。記事の中でハークネスさんは「私によくなついていてそれはそれは可愛いものです」と語っている。

 ただそれ以前は、パンダのふるさと中国でも、生息地である四川省の一部の人を除いては一般的に知られる存在ではなかった。地元ではたまたまわなにかかったパンダの毛皮が取引されていた記録があるが、経済的にも特別に価値があるとは見なされていなかったようだ。

 そんなパンダに熱視線を送ったのは外国人だった。

今や世界で愛されるパンダですが、中国でもほとんど知られていなかった時代がありました。パンダの魅力に気づいた中国が政治的に利用するようになった背景には、日本との戦争が深く関わっていました

 19世紀後半から、欧米の宣…

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この記事を書いた人
井上亮
中国総局|政治外交担当
専門・関心分野
中国社会、人口減少、移民
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    辻田真佐憲
    (評論家・近現代史研究者)
    2024年8月26日10時45分 投稿
    【解説】

    中国のパンダ外交って、日中戦争がきっかけなんですね。当時の日本では、「日本は武力戦に強いが、中国は宣伝戦に強い(だから日本も宣伝戦に力を入れないといけない)」とよく指摘されていたものです。米国に留学経験があり、英語に堪能だった宋美齢は、対米

    …続きを読む