被災鉄道の復活「盛り上がりあってこそ」 大学生が考える地域の未来
大谷秀幸
■米坂線とわたし
2年前の豪雨で米坂線が被災したとき、佐藤風馬さん(19)は沿線の高校に通う3年生。一時は通学ができなくなった。いまは東北公益文科大(山形県酒田市)で学ぶ2年生だ。大学進学を機に地元を離れ、米坂線に対する見方が少し変わってきた。
山形県米沢市と新潟県坂町を結ぶJR米坂線は、2022年の豪雨で被災し、全区間の7割超で運休が続いています。沿線に住む人たちが米坂線に寄せる思いを紹介します。
小国町の出身です。自宅から川西町の置賜農業高まで、3年間、米坂線で通いました。
2年生のころから子どもの居場所作りのボランティア活動を続け、フードバンクで集めた食品を配ったり、一緒に畑で野菜の種をまいて収穫体験をしたりしました。
水害が起きたのは3年生の8月上旬。下旬にボランティア活動を青森で発表する機会があったのですが、水害直後は鉄道も道路も止まって、学校に行けませんでした。
通学の苦労「味わってほしくない」
みんなと発表のための資料作…
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