第1回アイヌ民族の戦後をたどる「ポンペ物語」 差別逃れて山河で過ごした
風に揺れる一本松から戦後を歩みはじめた。
札幌から車で2時間の北海道むかわ町(旧穂別町)。1級河川の鵡川(むかわ)に沿って走る道道から対岸に渡り、林に囲まれた田舎道を行く。すると、視界が開けて1軒の民家が現れた。
この場所にはかつて、18軒からなるアイヌ民族の集落があった。
「イナエップコタン」
1945年1月に生まれた石井ポンペ(79)の故郷だ。子ども時代は周囲の山や沢が生活の場であり、遊び場でもあった。
母親に「チェッポ(小魚)すくって来い」と言われ、近くの沢でヤマメやウグイを捕った。行者ニンニクなどの山菜もたくさん生えていた。家に持ち帰ると、すぐに母親がオハウ(汁物)にしてくれた。
ポンペは「食べ物、飲み物は全部近くの山や沢からとったからね。食糧難の時代も俺たちは何も困らなかった」と振り返る。
母親はわずかな畑を耕し、トウモロコシやジャガイモを作っていた。父親は1人で冬山にこもり、鹿やテンを捕ってきた。誰かが亡くなると、共同墓地に土葬された。
誕生から死までの一生が、このコタンにはあった。
「俺らは土の上で生まれて、土から出る芽を食べて、死んだら土にかえる。大地は大切にしなさいと言われて育ったんだ」
小学6年の頃に植えたバンクスマツが、かつて実家のあった場所を示す目印になっている。
時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆくーー。終戦直前に生まれ、アイヌ民族の権利保障を求め続けてきた石井ポンペさん。その半生を通して、アイヌ民族の戦後史を振り返ります。
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- 【視点】
日本に暮らす外国籍者が300万人を超えた今、改めてマイノリティへの差別や当事者の経験を知ることが重要になっていると感じます。少子高齢化への危機感から2018年以降、急速に外国人受け入れが進み、政府が率先して"外国人との"「共生社会の実現」を
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