思い出の無人駅、社長が1人で始めた掃除 見ていた高校生は動いた

有料記事線路は続くか

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 街道沿いに家が並ぶ小さな集落の駅は、11年前に駅員がいなくなった。そしていま、無人になった駅の待合所には月に2度、近くの高校の女子生徒たちが集まってくる。彼女たちが取り組むのは清掃活動。駅の清掃は、駅舎が無人となったその日、近くの工場の社長が始めたものだった。

 2013年4月1日、長野県伊那市で機械部品の製造を手がける伊那金属工業の平沢泰斗社長(73)は、ひとけがなくなったJR飯田線沢渡(さわんど)駅の駅舎にいた。

 近くに実家があった平沢さんは高校時代、この駅から沿線の伊那北高校に通った。列車を待つ駅舎で友人と語り合い、恋心を抱いた人と車両に乗り合わせるのも楽しみだった。母からは戦時中、赤紙を持って駅から戦場に向かう若者を見送ったと聞いた。

 「思い出が詰まった駅舎。誰もいないなら自分で掃除しようか」。気がついたらほうきを持っていた。

女子生徒たちが訪ねてきた

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 100年を超える歴史を持つ…

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    金子元希
    (朝日新聞ネットワーク報道本部次長)
    2024年3月31日17時57分 投稿
    【視点】

    地方に行くと無人駅を見かける機会は多いですが、長野県内は7割と知って驚きました。 鉄路自体の維持や管理も人口減少社会で課題になっていますが、駅も同様と言えると思います。 効率化を考えれば、やむを得ない判断かもしれませんが、利用客にとって

    …続きを読む