原爆ドームと新スタジアムを結ぶ軸 74年前に丹下健三が描いた構想

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吉田純哉

現場へ! 平和のスタジアム③

 広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑から北に数分歩くと、目の前に原爆ドームが迫ってくる。その左後方には、真っ白な屋根に覆われた巨大な建造物が見える。2月にオープンした、サッカーJ1サンフレッチェ広島の新本拠地「エディオンピースウイング広島」だ。

 実は74年前、平和記念公園を設計した建築家・丹下健三は、このスタジアム付近に「FOOTBALL FIELD(サッカー場)」を置く図面を描いていた。終戦5年後の1950年に作ったとみられる構想案「ピースパークプロジェクト」だ。

 丹下を研究する島根大学教授の千代章一郎(55)は「丹下さんは、この場所を『未来への工場』と言っていた。平和を実現するのは、子ども・スポーツ・芸術と考えた」と話す。

 構想案では、原爆ドームの北…

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この記事を書いた人
吉田純哉
オピニオン編集部
専門・関心分野
スポーツ、文化、教育