ともに悲しき「離散の民」 イスラエルとパレスチナ人、対立の根源は
Diaspora(ディアスポラ)。「あちこちに種をまく」というギリシャ語に由来する「離散」を意味する語は、長くユダヤ人を指した。しかし、ユダヤ人国家イスラエルの建国で、今度はパレスチナに暮らしてきたアラブ人が新たなディアスポラとなった。悲しき対立と衝突の根源を、中東地域研究者の錦田愛子さんに聞いた。
にしきだ・あいこ 1977年生まれ。慶応大学教授。専門は移民・難民研究、現代パレスチナ・イスラエル政治。ヨルダン、レバノン、イスラエルなどで在外研究の経験がある。
――1948年のイスラエル建国以来、争いが断続的に続いてきました。
「この争いを、ユダヤ教とイスラム教の対立と説明する向きもありますが、そう解釈すると見誤ります。確かに宗教が関わる面もありますが、これは宗教的対立ではなく、土地とアイデンティティーを巡る争いです」
「パレスチナとは元々、イスラエルを含む、この地域全体を指す土地の名称です」
「イスラエルの博物館に行くと、ユダヤ教が中心の社会があった古代から説明が始まります。ユダヤ教徒は新バビロニア王国やローマ帝国によってパレスチナの地を追われ、世界中に離散していきました。彼らは『ディアスポラ』(離散)の民とも呼ばれています」
「ユダヤ教を源流にキリスト教が誕生し、さらに7世紀にイスラム教が起こると、パレスチナは主にイスラム教徒を中心とするアラブ人が暮らす土地になりました。周辺のエジプトやシリア、ヨルダンなども含め、アラブ人にはユダヤ教徒もキリスト教徒もいます。この地域は本来、同様にエルサレムを聖地とする三つの宗教が共存する土地です。パレスチナも、かつては中立的な地名でした。イスラエル建国以前、ユダヤ人がこの地で作った楽団が『パレスチナ交響楽団』を名乗ったほどです」
――その地に、ユダヤ人国家が建設されました。
「離散したユダヤ教徒たちは、キリスト教が根付いた欧州では少数派の異教徒として、ときに迫害を受けました。ナチスによるホロコースト(大虐殺)は、その象徴的な出来事です」
「一部のユダヤ教徒の間ではすでに19世紀に、反ユダヤ主義から逃れるため、ユダヤ人の国家を作ろうとする『シオニズム運動』が始まっていました。20世紀初めのパレスチナはオスマン帝国統治下でしたが、大英帝国は第1次世界大戦を有利に進めるため、アラブ人と、ユダヤ人財閥の双方に、将来の国家建設を約束するような『三枚舌外交』を展開したのです。約束はいずれも果たされませんでしたが、第2次大戦後にユダヤ人がイスラエルを建国。反対するアラブ諸国との間で1973年までに4度の中東戦争が起きました」
「こうして建国されたイスラエルは、ユダヤ人にとって重要な生存圏とみなされています。すなわち安全な国土の確保が最優先課題なのです。今、イスラエルが強い国際批判を受けながらも、それを半ば無視したように激しくガザ地区を攻撃しているのは、10月7日の攻撃で『生存圏』が著しく脅かされたととらえ、その脅威を徹底的に排除しようとしているからです」
――イスラエル建国で、今度はアラブ人がパレスチナの地を追われました。
「オスマン帝国時代は、この地域一帯で人々が自由に移動をしていました。しかしエジプトやシリアなど国民国家の形成が始まると、国民意識が生まれます。パレスチナを追われた人々は、逃れた先のほとんどの周辺国で国籍を得ることが出来ませんでした。彼らは出身地域の名前から『パレスチナ人』と呼ばれ、難民となりました」
「イスラエル建国を、アラビア語で『ナクバ』(大災厄)と言います。このナクバによる離散という体験が、現在のパレスチナ人のアイデンティティーの根底にあります。パレスチナ人もまた離散の民、ディアスポラなのです」
――パレスチナ地域に住んでいたアラブ人が、ナクバという共通経験をもとに新たなアイデンティティーを構築し、今の「パレスチナ人」になった、と。
「彼らの中には、故郷を中心…
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- 【視点】
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イスラエル・パレスチナ問題
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