第3回獄中で母の死を知った袴田さん 「冤罪ながら死刑囚」手紙に恐怖記す

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村上友里

 袴田巌さんは逮捕後の1967年から死刑確定後までの20年超、獄中から家族らに手紙を出し続けていた。司法への期待と絶望、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神――。数千枚の手紙からその半生をたどる。

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 《裁判所が事実を見あやまらないかぎり、私は無罪と確信しつつ七月十八日判決を待つ》

 (1968年7月ごろ、母宛て)

 静岡県で66年6月、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われていた袴田巌さん(87)。勾留されていた静岡刑務所から家族宛てに書かれた手紙には、静岡地裁判決への期待がにじむ。

 判決期日は当初、68年7月18日に指定され、その後に複数回、延期された。そのことも、前向きにとらえている。

【直筆を見る】袴田巌より 獄中からの手紙

獄中から家族らに無実を訴える手紙を出し続けた。司法への期待と絶望、周囲の支援、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神。手紙からその半生をたどる。

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この記事を書いた人
村上友里
国際報道部
専門・関心分野
難民移民、人権、司法