空爆の街から来た中学生 広島の資料館で後ずさり、呼吸を整えた
イスラム組織とイスラエルの戦闘が絶えない中東パレスチナ自治区のガザ地区から、14歳の中学生3人が広島を訪れた。戦禍の中で暮らす彼らは、異国で78年前の被爆の記憶に触れ、何を感じたのか。
「生まれてから幾度の戦争と数え切れない衝突を目の当たりにしてきた。毎日、目が覚めて家族や友達がいなかったらどうしようという恐怖を感じている」
3人のうちの1人、ジェナーン・アブー=ユニスさんは、6日に訪れた武田高校(広島県東広島市)で生徒らにガザの現状を伝えた。3人の訪問は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の研修の一環だ。
誕生日もう祝えない
イスラム組織ハマスが実効支配するガザ地区では、イスラエル軍の空爆とハマスなどによるイスラエル領へのロケット弾発射の応酬が繰り返されてきた。
エジプトに近いガザ南部ラファの学校に通うジェナーンさんの親友は、2021年の紛争で父を失った。「その日は彼女の誕生日だった。もう祝うことができない」と話す。
イスラエルとの国境があるガザ北部ベイトハヌーンで暮らすファディ・アリさんは、14年の軍事衝突で家を失った。「がれきになった家の前で母さんが泣き崩れて、大けがを負ったいとこの名前を叫んでいた」。5歳だったファディさんもその光景を覚えている。
イスラエルによる封鎖が続くため、人や物の移動が厳しく制限されている。UNRWAによると、ガザの失業率は5割に近く、若者に限ると約7割。ガザ中部に住むラマ・オウダさんは「才能があっても発揮する機会がない。私たちは閉じ込められている」と訴える。
ラマさんとファディさんはガザを出るのが初めてだ。検問などがあり、ヨルダンを経由しアラブ首長国連邦で飛行機に乗るまで3日かかった。9月30日に東京に着き、10月5日に広島へ。平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に花を供えた。
今回の3人の研修はUNRWAが日本政府の70年にわたる支援を記念したもの。「平和のために、分断を憎み、結びつきを深める場所」として被爆地の広島への訪問を決めたという。
一度は入り口まで引き返した
5日に訪れた平和記念資料館…
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