「窓を開けると目の前が線路」 ローカル線の駅員になった元運転士

黒田陸離
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 広島、岡山両県の山あいを走る芸備線で、運転士などを務め約40年にわたって列車を走らせた。その線路を今は駅員として見つめる。清原正明さん(69)=広島県庄原市=は鉄路の存続を信じ、JR備後庄原駅(庄原市)に立つ。

 父が国鉄の駅員という家庭で育った。実家は備後庄原駅の近くにあり、「窓を開けると目の前が線路」。小さな頃から横切る蒸気機関車やディーゼルカーを眺めてきた。全国を走るディーゼルカーの汎用(はんよう)性やデザインにひかれ、中学時代には木や紙で模型をつくるように。車輪や車軸を細かく観察しようと、列車を撮り始めた。高校卒業後、国鉄に就職。機関士や運転士として岡山県新見市や広島県三次市を拠点に乗務を重ねた。

 鉄道は沿線の暮らしに根付いていた。列車は時間帯によって特別な呼ばれ方もしていた。午後0時台はお昼時を知らせる「弁当持ち」。午前10時台や午後3時台は休憩の「たばこ」。農家や工場で働く人たちからは、そう親しまれた。休みの日には趣味で、鉄道のある風景を写真に収めた。

 国鉄はJRに変わり、地方では過疎化も進んだ。現在の庄原市域で見ると、人口は1950年の約9万人から約3分の1に。備後庄原駅では午前10時から午後3時までに1本しか列車が通らない日もある。人が減って本数が減る。その繰り返しのような状況が続く。2015年にJRを退職し、一度現場を離れた。

 「列車をなくせば地域がおろそかになる」。危機感を抱き、地元を支えようと、翌年、庄原市が管理委託を受ける同駅の駅員になった。

 芸備線の備後庄原―備中神代(こうじろ、新見市)の68・5キロの区間は、JR西日本がローカル線のあり方を自治体と話し合う「再構築協議会」の設置を要請する方針を示している。存続の岐路にある区間だ。

 「今あるものを有効活用するべきだ」。四季折々の山河を望む観光列車、非常時の山陽線の迂回(うかい)ルートへの活用……。利用促進に向けた地元の協議会でも訴えてきた。

 「もうかるか、もうからないかを言い出したら、ほかの線路もほとんど残らない。地元は(鉄道がなかった)明治や大正の頃に逆戻りになる」

 今年7月、芸備線など地域の鉄路の魅力を写真で伝える冊子を、有志で自費出版した。タイトルは「線路は続く」。12月に開業100年を迎える備後庄原駅で、願う。(黒田陸離)

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 鉄道愛好家らでつくる「みよしSL保存倶楽部」(三次市)で蒸気機関車の展示や旧JR三江線の線路を使った企画を展開。個人では、自身や愛好家が撮影した写真を披露する写真展「線路は続く」を、みよし風土記の丘ミュージアム(同)で10月9日まで開催している。今年で9回目という。

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