鉄砲伝来の小さな島 教科書には書かれない「悲劇のヒロイン」がいた

有料記事れきしあるき

西田理人
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高速船に乗って南北57キロの種子島

 九州の南に浮かぶその小さな島は、鉄砲伝来の地として日本の歴史に名を刻まれている。480年前に伝わったとされる火縄銃は、やがて近畿など日本各地に広まり、戦国大名の戦い方を一変させた。群雄割拠の時代から、織田・豊臣の天下統一へ。そのターニングポイントにおいて種子島の名は語られる。

 教科書などに書かれるこうした大きな流れの一方で、島には今も、鉄砲に運命を翻弄(ほんろう)された市井の人々の逸話が残る。

 初の「鉄砲国産化」に挑んだ刀鍛冶(かじ)の苦労や、後に映画や歌劇の題材にもなった一人の女性の悲しい伝説。そこに知られざる鉄砲伝来の実像があるかもしれない。そう思って私は、現地に向かうことにした。

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 鹿児島港から島の玄関口である西之表港まで、高速船で1時間半あまり。4月後半の朝はあいにくの曇天だったが、やがてモノクロの海景の向こうに平たい島の輪郭が見えてきた。

 南北に約57キロと細長い種子島は、横浜市くらいの大きさ(約444平方キロメートル)で、三つの市町に約2万7千人が暮らす。高いところでも標高300メートルに満たないその姿は、隣にそびえる世界遺産屋久島(最高地点は1936メートルの宮之浦岳)と好対照をなす。

鉄砲を作った刀鍛冶の頭領、八板金兵衛

 港に降り立つと、さっそく火縄銃を構えた等身大の人物パネルが目に入った。役所や商店、ホテルなどが集まるこの一帯は、鎌倉時代から明治時代にかけて島を治めた種子島家が城を築いた場所だ。鉄砲の伝来と普及に関わった14代島主・種子島時堯(ときたか)の像を眺めつつ、私は種子島開発総合センター「鉄砲館」に向かった。

 鉄砲館には「ポルトガル初伝銃」と並んで、「伝八板金兵衛(やいたきんべえ)作火縄銃」が展示されていた。

歴史の教科書で誰もが目にする、鉄砲伝来の地・種子島。初めて島を歩いてみると、そこには鉄砲にまつわる悲しい伝説が語り継がれていました。記事後半では、ポルトガル人が島にたどり着いた背景についても専門家に尋ねます。

 「八板金兵衛は、日本で初めて鉄砲を作ることに成功したとされる人物です。彼は種子島の刀鍛冶の頭領でした」

 そう教えてくれたのは、元西…

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