第4回事故を生き延びた牛たちだけれど 脳裏にちらつき始めた「処分」の日

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 牛も、うまいものには目が無いらしい。

 福島県大熊町の畜産農家、池田光秀さん(61)が牧草ロールを開封すると、発酵した甘い香りが牧場全体に広がった。その香りにつられた牛たちが、池田さんの元へ集まってくる。待ちきれない牛の中には、角でロールをつつくいたずらものもいる。「こらこら!」と口では叱るが、池田さんは笑顔だ。

 「ようやく腹いっぱい食べさせられるようになった。ここ一年は、一頭も死んでいない」と語る池田さん。1個300キロの牧草ロールを、朝と夕方に一つずつ与えている。

 原発事故の前、母牛から生まれた子牛を育てて出荷する繁殖農家をしていた。牛の食事が最優先。自分の食事はコンビニで済ますこともあったが、牛の食事は手を抜かない。朝夕きちんと食べさせた。

 2011年3月12日の「最後の食事」のことは今でも鮮明に覚えている。

連載「食卓が語るもの 被災12年の福島から」

東日本大震災から12年となるいまも、福島では原発事故の影響が色濃く残っています。帰還困難区域が残る町の「食卓」から、福島のいまを見つめます。

「もう帰って来られない。少しでも生き延びて」

 「もう帰って来られない」「…

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