急逝した原田泰治さん 愛された素朴画、車いす入店広げる活動も
長野県諏訪市在住の画家で、その素朴な作風が全国のファンに愛された原田泰治さんが急逝した。気さくな人柄で、同市の「原田泰治美術館」が企画展をするたびにスポーティーな車いすで元気な姿を見せ、来場者と交流していた。併せて、車いすで入れる店を増やす活動も展開し、障害のある人たちを励まし続けてきた。
原田さんは1940年、諏訪市に生まれ、幼少期を飯田市で過ごした。1歳の時に患った小児マヒのため両足が不自由だったが、野外でよく遊んだ。野原に転がって観察したことが「虫の目」を身につけさせてくれた、とのちに回顧している。
中学の途中で諏訪に戻り、諏訪実業高から東京の武蔵野美術短大に。都内で一時働き、諏訪に戻ってグラフィックデザイナーとなった。のちの絵画作品で知られるが、デザイナーとしても電車やバスのラッピング、チョコレートの商品パッケージなど数多くの作品を手がけた。
画家としては「素朴画」と呼ばれる分野を確立。日本の原風景を切り取ったその作品は多くの人に愛され、諏訪市が諏訪湖畔に造った原田泰治美術館には全国からファンがやって来た。原田さん自身も時折顔を見せ、気さくに記念撮影に応じていた。
さらに、2019年から力を入れていたのが車いすで入れる店を増やすこと。食べることが好きな原田さんは、いろんな店に行きたくてしょうがない。が、車いすで入れる店、車いすで行けるトイレを備えた店、となると数は少ないのが実態だった。
スロープさえ付けてもらえば入ることはできる。まずは店にスロープを付けてもらおう――と立ち上げたのが「らくらく入店の会」。親友の作家、鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長、茅野市在住)らと協力し、徐々に加盟店を増やしているさなかの訃報(ふほう)だった。
誰に会うときも笑顔を絶やさなかった。車いす生活による足のむくみを気にしていたが、健康状態は上々で、1月末にリハビリ入院した際も、一時は数日で退院できる状態にまで回復した。原田さんを知る人にとって急逝は衝撃だった。
3日夕、長女の美室さん(48)が記者会見し、「父の存在は本当に大きかった。突然のことで心の整理ができない」と語った。「ぎりぎりまで普通の生活をして、緩やかに弱って死を迎えた。人生を全うできた」と報告した。
別れを惜しむファンのため、原田泰治美術館は8日から献花台を設ける。
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原田さんと親しかった作家で医師の鎌田實さんの話
晩年は信州を愛し、まだ描いていない信州の風景を描こうと全力投球していた。ところが80歳になったときから絵を描かなくなって。「描いた方がいいよ」と言うと、「もう描ききったよ」と言っていた。やりたいことをやり切って、絵も描ききった、泰ちゃんらしい最期だと思う。障害を乗り越え、元気なイメージだけをみんなに植え付けて格好よく逝った感じかな。
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