旧東京帝大の校舎が取り壊しの危機 専門家は保存求める

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重政紀元
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 千葉市稲毛区に残る旧東京帝大第2工学部の木造校舎が取り壊しの危機にある。戦時下の資材不足を補う独自の工法や「軍都・千葉」の歴史的な経緯から貴重とされ、幅広い分野の専門家が保存・研究を求める声を上げる。なぜ取り壊し決定がされたのだろうか?

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 取り壊しが迫るのは、旧東京帝大第2工学部の「共通第3教室棟」と「応用化学棟」。ともに戦時下の1942年に建てられた木造校舎。千葉大西千葉キャンパスに隣接する。

 戦後は東京大生産技術研究所(生産研)の千葉実験所の事務棟、倉庫などに使われてきたが、千葉実験所は2017年に柏市に移転。跡地では今年6月から、千葉大への移管と民間への売却のため、建物の解体が始まっている。

 これに対し、千葉大の研究者は「市内に残る貴重な戦前の建築物」などとして異議を唱えている。

 昨秋から調査に加わっている千葉大工学部の頴原(えばら)澄子准教授(建築史)によると、二つの建物は「戦時下の資材不足の中、巨大な方杖(ほうづえ)・壁柱などほかにはない特徴ある工法も見られる」という。

 梁(はり)は製材でのロスをなくすため丸太をそのまま使用。釘など金物は極力使わず、木材の交差部分をかみ合わせる伝統工法を用いる。柱には方杖を多用するなど防災上の工夫が随所に見られる。時局柄、戦災に備えたモデル建築だった可能性もあるという。

 また、共通第3教室棟には、実験で生じるガスを排出する機械式の「ドラフトチャンバー」が残る。この形式では現存する最古級とみられる。旧制第五高等学校のアルコールランプ式、学習院大のガスバーナー式はいずれも貴重な歴史資料として「化学遺産」に認定されている。

 地域史から見て重要な位置づけができるという指摘もある。

 旧東京帝大第2工学部は42年の開設から9年で閉鎖された幻の学部。軍で活用できる工学系学生の養成強化が目的で、航空機など先端兵器の研究が行われてきたとされる。戦後は「戦犯学部」と評された。

 戦前、西千葉地域は陸軍の歩兵学校、戦車学校、防空学校、兵器補給敞、鉄道第一連隊などが集積した「軍都」だったが、往時のまま残る建物は千葉経済大に残る同連隊のれんが建築などしかない。

 千葉大文学部歴史学コースの大峰真理教授は「西千葉の歴史の証人というべき建物。大学と地域との関係の歴史を考える拠点として、保存・活用するべきだ」と話す。全国の研究者ら2200人が加盟する歴史学研究会も文部科学省や東京大、千葉大などに解体中止を求める要望書を提出した。

 これに対し、東京大は「役員会で計画決定がされていて、移転事業や処分手続きを進めている。校舎については、3D測量などを行い、デジタルアーカイブとして残す準備をしている」、千葉大は「敷地の一部から有害物質が検出されている。更地化して、除去をした後に取得することで機関決定している」と取り壊しの方針に変わりはないとしている。

取り壊しを知ったのは大学側が機関決定してから

 東京大は1997年、学内の登録文化財候補として選定した90棟の一つに、共通第3教室棟を含めていた。だが今回の取り壊しを研究者たちが知ったのは大学側が機関決定をしてからだったという。なぜこんなことになったのだろうか?

 校舎を戦後使った東京大生産…

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